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JOYJOBメンバー他では言わない自身の秘密?!を毎日更新

真実を見つめる目

2008-03-13 09:24:13 | 旧メンバーブログ
木曜日担当のノリです
先々週のことですが、
久しぶりに食い入るように見ました

映画の「それでも僕はやっていない」

痴漢の冤罪事件をテーマとして日本の裁判問題を
扱ったものでした。

私たちは事件をマスコミの報道によって
知ることが出来ます。しかし、それは事件のほんの1部であって
全てではありません

警察によって犯人が捕まったとしても、
検察によって、起訴または不起訴になるか。
起訴になれば、裁判がはじまります。

事件の扱いが大きければ、大きいほどマスコミによって
事件の経過は伝えられます。しかし、小さい事件であれば、
最後の経過まで世間一般に伝えられる可能性は小さいです。

裁判官は映画の中でこのようなことを
言っている場面があります。

「裁判官の役割は、罪のない者を罰しないために存在する。

人が人を裁く・・・・スポーツのうえでは、もちろん審判の存在によって
成り立っています。そして時には審判も間違えるかもしれません。

しかし、司法の場において、人が人を裁くのうっかり間違えてしまった
そんなことはあっていいはずがありません。
人の一生がかかっています

「それでも、僕はやっていない」主人公はどんな抵抗に諦めることなく、
自分のありのままの真実を伝えています。

最後の場面、この台詞がとても印象的でした。

「真実は神のみぞ知ると言われてるが、
 真実は僕だけが知っている。   」

起訴されれば、99.9%が有罪判決の日本の裁判問題
2010年からは「裁判員制度」が始まります。

冤罪が増えるようであってはいけないと感じます

平均視聴率が高く、ノリも何度も見ましたが、
ドラマ「HERO」において、木村拓哉演じる久利生検事が
涙を目に浮かべて、このように言うところがあります

「俺たちみたいな仕事ってな。人の命奪おうと思ったら簡単に
 奪えんだよ。あんたら警察も、俺ら検察も、そしてマスコミも、
 これっぽちの保身の気持ちでな。ちょっと気を緩めただけで、
 人を簡単に殺せんだよ。俺らはそういうことを
 わすれちゃいけないんじゃいんすか       」


公権力の不正を絶対に許さぬ「目」がこれからを生きる
大人に必要なことではないでしょうか

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