どーも、あさみです。
もう夜中ですが、2日連続して現実感がまったくありません。
完全にほうけています。
さて、題名にある通り、一大決心というのは(知っている人もいるとは思いますが)、
とうとう今日、私はトランペットを購入しました。
さかのぼること4年間、もう手に触れることはない、と断言していたトランペットです。
突然ですが最近はそうでもなくなってきたのですが、私は全てにおいて過去に固執していました。
その起因はトランペットにまつわることにあるのですが、
そのことについて断片的に書きたいと思います。そんな気分なので。
トランペットは中学・高校と吹奏楽部で続けてきた相棒みたいなもので、
当時は自分の生活からトランペットが無くなるなんて思いもしないほど練習していました。
特に高校の部活の仲間はとても仲が良く、練習も楽しく、初めて仲間と呼べる存在でした。
高校2年のある時期を境に、私は部活に行けなくなりました。
仲間外れにされたわけではありません。いつも通り、楽しく仲良く、笑って吹いていました。
裏切ってしまった人がいました。その人を恐怖に感じてしまいました。ただ、自分に負けたのです。
やめた当初はそこから解放されたことに心の底から安堵しました。
ただその数日後、後悔と自責の念だけが残りました。
部活が大好きでした。仲間が大好きでした。トランペットが大好きでした。
しかし、私はそこにいることはできませんでした。
もう戻ることはできません。帰る場所とトランペットを失いました。
それでも、今の私がその当時の私に出会ったとしても、そうするしかできなかったね、と言ってやるしかできません。
その当時のことを考えるたびに思い返すのは、部活をやめると言ったときに顧問の先生が言った一言です。
「ここでやめたら、人間として終わりになるぞ」
ぽっかりと穴のあいたような、そんな感じでした。私は、完全に抜け殻状態でした。
大学生になり、ずっと引きずったまま、現実のことには深く干渉しないようになりました。
そんな日々の中でもいろいろな経験・関わりを通して、その症状は少しずつ和らいでいきました。
年末ごろ、ひょんなことで転機が訪れました。自分の中でずっと避けてきた、吹奏楽とオケの定期演奏会へ出かけました。
吹奏楽は泣き泣きの観賞でしたが、オケは案外ケロッと聴けました。
しかし家に帰り、ドアを閉めて一人になると、崩れ落ちるほどの大号泣。
「またホールに立って演奏したい」 …そう強く思いました。
そこから約1ヵ月間、親への説得やら、いさかいやら、プチ家出やらで気分は落ち込み、勉強にも支障がきたすほどに。
いろんな人たちに心配やら迷惑をかけながら親への説得に成功!(しかもクリスマス前!!)
私は晴れてこの日を迎えることができたのですが…そううまくはいかないもので。
ずっと考えていました。
本当に自分はまたトランペットを吹いていいのだろうか?そんな資格があるのだろうか?
恐怖に感じてしまったその子が、私がまた始めると知ったらどう思うだろうか?
そんなことをぐるぐる思いながらも、市内の某楽器店へ試し吹きのために緊張しながら来店。
久しぶりに持つ楽器はずっしりと重く、全然息が流れない、というか躊躇しすぎて息が入っていない。
それでもトランペット本体から出る音に気持ちも高ぶりテンションも上がりまくり。
やっぱりトランペットが好きなんだなぁ、と自身の根っからの楽器好きぶりを再確認。
そこからはトントン拍子に話は進み、購入する種類も決定。
そして前日、市民団体の吹奏楽団の講習会を見学してきました。(やっぱり迫力が違う!)
最初はレッスンにしてよかった…と思いながら見学しました。
家に帰り、ぼーっと明日(今日)のことを考えます。
…とうとう買うのか。そう思っていると涙もほろほろ。自分でもなぜ泣いているのか分からずパニック。それでも止まらない。
やっぱり感じ入ることがあるのか…としみじみ。そして本日を迎えたわけです。
朝早く起き、足りないお金を銀行でおろし、楽器店に出陣。楽器とのご対面です。
まだケースを決めていなかったので選び、その他のものと合わせて購入。ついでにレッスンの日付も決めました。
感極まるかと思いきや、テンションが上がりすぎて午後は譜面台を買いにお出かけ。帰ってくるなり疲れて爆睡しました。
昨日の涙が嘘のように、涙一滴流すことなく気合いに満ち溢れております。人間、案外丈夫なもんです。
そして迎える新学期、何かと忙しくなるのですが、なるべく笑顔でいたいと思います。
長々と暗めの文章ではありましたが、今度はお菓子研究のような明るめな話題を書くつもりです。
切羽詰まってパニックになったときは頼りにしています!笑
それでは皆さんも良い春休みをー