復刻版DVDが出たので購入しました。初見です。
何しろ1998年なんて、私はヅカファンでも何でもなかったし。
去年の再演も見られてないし。
どころか、未だにバウホールは未踏の地だし。
1幕と2幕を2日に分けて、一人で見ました。
私の悪い癖として、「予備知識を仕入れすぎる」というものがあります。
この「凍てついた明日」についてとっても熱く語っているブログを、がっつり読んでいた。
(人の作品語りを読むのは大好き)
史実のボニーとクライドについて、wikiで情報を仕入れていた。
主題歌「Blues Requiem」をiTuneで購入して、何度も聞いていた。(矢代鴻さんの歌声が好きなの)
えっと、私は馬鹿ですので。
荻田先生のショーは複数見たことがありますが、解釈とか全くできません。
「タランテラ!」とか、(1回しか見てないが)本当に何もわからなかった。
で、非ショー(つまり芝居だな)は、「マラケシュ・紅の墓標」をTV放送で見たきりです。
これは、面白いと思った。素直に。
荻田作品が自分に合うのか合わないのか、今ひとつわからない。
でも、題材に興味をひかれたので、買ってみた。
そのくせ、予備知識を入れすぎで、期待だけは大きいという危険な状態で見て。
この涙は何だろう。
一幕終わり辺りからあふれ出てくる、この涙は。
この物語は面白い。目が離せない。買って良かった。
…まあ、これは断言できます。
が、その「面白い」の内容を、言語化できない。
もうちょっと時間が必要かもしれない。
ただ一つ、言えるのは。
とにかく、痛かった。
痛くて痛くて、心がどんどん重くなっていくのがわかった。
似た痛みを、知っている。「似てる」だけだけど。
森川久美の漫画を、読んだときの感覚に、似てるんだ。
実は既に「マラケシュ」を見たときに、「森川ワールドっぽいな」と感じていた。
あくまでも、「ぽい」だけど。
当然ながら、違うクリエーターが作っている以上、同じ感覚のものにはならない。
森川作品の中でも、色々痛みに違いはあるんだが、
私にとっては、「ジークフリート」を読んだときの感覚に近かった。
(……って言って、一体何人の人が理解してくれるんだろう。
しかもあくまでも「私にとっては」だし、
そして「近かった」止まりなんだ。同じじゃない。)
一幕ラストの、ボニーの決断。
二幕、クライマックスの、二人の結論。
私はきっと、ボニーに感情移入して見てたんだろうな。それは、確か。
(でもラストはジェレミーに持っていかれた。とうこさん凄い)
泣けて泣けて仕方がなかった。
人間の愚かしさに、悲しさに。
でもそれは、(これがタカラヅカ作品だから、というのもあるだろうが)
決して醜いものとしては描かれていなかった。
その甘さがあるからこそ、痛みがきつく胸を刺す。
ボニーの絶望が胸に迫ってくる。
その絶望が、痛い。
ボニーの絶望を、クライドの絶望を、理解してしまう自分がいる。
感じ取ってしまう自分がいる。
でも、その絶望を自分は、共有できない。
「彼らの」痛みは、「私」のものには決してならない痛み。
だからこそ、ラストはジェレミーに感情移入して泣く。
彼らの抱える痛みや絶望を、限界まで「わかって」しまって、
それでも最後まで、一緒には行けない悲しさ。
彼らが到達してしまった岸まで、私はたどり着くことはない。
それは辛くて悲しくて、でも、幸せなことだとわかっていて。
甘い痛みに、切り裂かれる。
中毒性がありそうだ、この痛み。
そして、主演の香寿さんの完璧なカッコ良さ!これぞ男役の美学。
ヒロイン・月影さんの美しさ。彼女の笑顔に泣かされる。
安蘭さんの演技と、歌声。矢代さんの歌声。未来さんの歌声。
紺野まひるちゃんの、愛らしさ。
荻田演出で森川作品を見たかったな。
いかにも「ヅカ」っぽいのじゃなくて、がっつり痛いのを。
「花の都に捧げる」とか「信長」とか「青色廃園」とか「ヴェネチア風琴」とか。
(全てヒロイン不在すぎてヅカ向けじゃないやつ)
とびきり甘く、とびきり痛く。
何しろ1998年なんて、私はヅカファンでも何でもなかったし。
去年の再演も見られてないし。
どころか、未だにバウホールは未踏の地だし。
1幕と2幕を2日に分けて、一人で見ました。
私の悪い癖として、「予備知識を仕入れすぎる」というものがあります。
この「凍てついた明日」についてとっても熱く語っているブログを、がっつり読んでいた。
(人の作品語りを読むのは大好き)
史実のボニーとクライドについて、wikiで情報を仕入れていた。
主題歌「Blues Requiem」をiTuneで購入して、何度も聞いていた。(矢代鴻さんの歌声が好きなの)
えっと、私は馬鹿ですので。
荻田先生のショーは複数見たことがありますが、解釈とか全くできません。
「タランテラ!」とか、(1回しか見てないが)本当に何もわからなかった。
で、非ショー(つまり芝居だな)は、「マラケシュ・紅の墓標」をTV放送で見たきりです。
これは、面白いと思った。素直に。
荻田作品が自分に合うのか合わないのか、今ひとつわからない。
でも、題材に興味をひかれたので、買ってみた。
そのくせ、予備知識を入れすぎで、期待だけは大きいという危険な状態で見て。
この涙は何だろう。
一幕終わり辺りからあふれ出てくる、この涙は。
この物語は面白い。目が離せない。買って良かった。
…まあ、これは断言できます。
が、その「面白い」の内容を、言語化できない。
もうちょっと時間が必要かもしれない。
ただ一つ、言えるのは。
とにかく、痛かった。
痛くて痛くて、心がどんどん重くなっていくのがわかった。
似た痛みを、知っている。「似てる」だけだけど。
森川久美の漫画を、読んだときの感覚に、似てるんだ。
実は既に「マラケシュ」を見たときに、「森川ワールドっぽいな」と感じていた。
あくまでも、「ぽい」だけど。
当然ながら、違うクリエーターが作っている以上、同じ感覚のものにはならない。
森川作品の中でも、色々痛みに違いはあるんだが、
私にとっては、「ジークフリート」を読んだときの感覚に近かった。
(……って言って、一体何人の人が理解してくれるんだろう。
しかもあくまでも「私にとっては」だし、
そして「近かった」止まりなんだ。同じじゃない。)
一幕ラストの、ボニーの決断。
二幕、クライマックスの、二人の結論。
私はきっと、ボニーに感情移入して見てたんだろうな。それは、確か。
(でもラストはジェレミーに持っていかれた。とうこさん凄い)
泣けて泣けて仕方がなかった。
人間の愚かしさに、悲しさに。
でもそれは、(これがタカラヅカ作品だから、というのもあるだろうが)
決して醜いものとしては描かれていなかった。
その甘さがあるからこそ、痛みがきつく胸を刺す。
ボニーの絶望が胸に迫ってくる。
その絶望が、痛い。
ボニーの絶望を、クライドの絶望を、理解してしまう自分がいる。
感じ取ってしまう自分がいる。
でも、その絶望を自分は、共有できない。
「彼らの」痛みは、「私」のものには決してならない痛み。
だからこそ、ラストはジェレミーに感情移入して泣く。
彼らの抱える痛みや絶望を、限界まで「わかって」しまって、
それでも最後まで、一緒には行けない悲しさ。
彼らが到達してしまった岸まで、私はたどり着くことはない。
それは辛くて悲しくて、でも、幸せなことだとわかっていて。
甘い痛みに、切り裂かれる。
中毒性がありそうだ、この痛み。
そして、主演の香寿さんの完璧なカッコ良さ!これぞ男役の美学。
ヒロイン・月影さんの美しさ。彼女の笑顔に泣かされる。
安蘭さんの演技と、歌声。矢代さんの歌声。未来さんの歌声。
紺野まひるちゃんの、愛らしさ。
荻田演出で森川作品を見たかったな。
いかにも「ヅカ」っぽいのじゃなくて、がっつり痛いのを。
「花の都に捧げる」とか「信長」とか「青色廃園」とか「ヴェネチア風琴」とか。
(全てヒロイン不在すぎてヅカ向けじゃないやつ)
とびきり甘く、とびきり痛く。
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