空中楼閣―Talking Dream―

好きなものを徒然なるままに。

雪組「ファントム」

2018-12-02 10:11:31 | 観劇(タカラヅカ)
チケ難公演で参りました…
まあみんな聴きたいよね、だいきほの「ファントム」は。
(「見たい」というか「聴きたい」が先に立つ)
職場の互助組合の斡旋で落選したのは初めてでした…
早めに確保させてくれたイープラスに感謝。

さて、私は前回のらん・らんコンビのファントム(2011花組)を
映像も含めて見られていないので、
2004初演宙組(タカハナ)→2006再演花組(オサあや)以来の観劇になります。
(まあ、間に2008の外部公演(大沢たかおに深いトラウマが残った作品)も見てる…)

その外部公演から数えても10年ぶり、宝塚版を見るのは実に干支一回りぶり、ぐらいに観劇して、
予想以上に過去のバージョンが脳内にこびりついている自分にまず驚きました。
より正確に言うと、宙Ver.はかつてVHSを繰り返し見たので目に焼き付き、
オサ様Ver.はCDを繰り返し聞いたので耳の底から離れていなかった。

そしてね。
私にとってタカハナのラブシーンやオサ様の歌唱というものは、
ちょうど宝塚にハマっていったまさにその時に目にし耳にしたもので、
雛のインプリンティングのごとく、私が宝塚を見る時の指標になっているもので、
まあ一言で言うと「神」の領域なのですよ。

そこに年月の経過に伴う記憶の美化も加わるわけだから、比較するなというのも無理な話。
記憶の中の神を相手に見ないといけないのか…! と、愕然としました。

お花様のクリスティーヌは、娘役芸の真骨頂だったよなあとか、
(あれだけのベテランでふつーに「可憐な美少女」が成立していたという驚異)
クライマックスのタカハナの「姿」が、指の先まで神経が行き届いた
宗教画のような美しい形だったよなあとか。
あやねちゃんのクリスティーヌはストーリーが成立しないレベルで歌えてなかったけど、
キャラクターだけは文句なしの「聖母性を備えた無垢な少女」で、
オサ様エリックがクリスの存在で救済される展開にとんでもない説得力があったよなあとか
そしてオサ様の歌声は「Angel of Music」(※それARW版)そのもので、
特に「My mother bore me」の絶唱はとんでもなかったよなあとか。


けれども。
だいきほの「歌声の調和」は、期待通りの素晴らしさで、
「天使の歌声の歌姫」と、「不遇な音楽の天才」との悲恋、というストーリーは
今までになくばっちり機能していた。
「Home」もだけど「You are music」が至高。
…ていうかクリスティーヌの設定って、ここまでハードル高かったんですね、という発見。
「今まで聞いた誰とも違う素晴らしい歌声」(byフィリップ)
「百年に一度現れるか現れないか」(byカルロッタ)
「もう僕が教えることは何もない」(byエリック)
……最後のセリフとか、オサあやで聞いた時には「頼むからもうちょっと教えてやってくれ!」と
心の底からツッコんだからねえ…(遠い目)
そして、きいちゃんのクリスティーヌは、そういうセリフの数々にきちんと応える出来でした。
今後のクリスティーヌ役へのハードルを上げすぎだと思います(笑)
一番すごかったのは、ビストロでの覚醒直後のかな。
「抱きしめて、セーヌ川で~」の歌。歌姫降臨!感がすごかった。
そして、彼女のタイターニアが聴きたかったと本気で思った……カルロッタ許すまじ(笑)

今回の「ファントム」では、エリック→クリス が、「恋」というより
「神への愛」(アガペーと対になるところのエロス)に見えたのが新鮮だった。
エリックにとってのクリスの歌声は(記憶の中の母の存在は置いておいて)
まさしく「神」「天使」と呼ぶにふさわしい神聖なもので、
彼女を歌姫に育て上げることは彼に任された使命、そこに下心は一切存在していなくて、
だからこそ彼女の神聖な歌声を穢したカルロッタを絶対に許せず、
カルロッタに罰を与えた、そんな物語が見えた。
これはすごくスムーズに腑に落ちたし、良かった。

…それにしても、初演からずっと思ってるし言ってるけど、
ツッコミどころ多すぎなんですよ、この物語!!

外部公演でもそうだったから、元の脚本からそうなんだけどさ、
どうしてクリスが逃げてしまう理由が「エリックの顔」なのか。
事前にキャリエールから「二目と見られぬほど醜い」という情報が入っており、
それでも「愛があれば大丈夫」と、嫌がるエリックを説き伏せて、
高らかに「My true love」を歌い上げておいて、実際に顔を見たら悲鳴を上げて逃げるクリス。
……クリスのフォローの仕様がないじゃないですか(困惑)
「物語の正しさ」で言うと、ここでクリスが拒絶するのは
エリックの「顔」ではなく「心」であるべきだと思うのですよ。
(悪いのはキャリエールなんだけど)歪んだ狭い世界に閉じ込められて育ったゆえに
現実を直視できずに空想の「森」に逃げ込み、「君のため」と言って人を殺める。
そこにドン引きするなら、わかる。
そしてラストで「でも愛してる」とエリックを抱きしめ顔にキスしたら、
十分なカタルシスたりえると思うんですけどねえ。
いつかどこかでここを解消したVerをやってくれないだろうか。

もうひとつの、どうしようもないツッコミどころはキャリエールの所業。
ここは脚本でフォローしようとした跡がいろいろあるんだけど、
どうフォローしても「最悪男…」にしかならない。
むしろ「言い訳すんな!」と思ってしまう(笑)

…というこの2つが最大ですな。
ところが今回。
ここはだいもんエリックの個性で何だかいろいろ乗り切ってしまった(驚嘆)

まずは「My true love」。
クリスティーヌがエリックに「顔を見せて」と迫るシーン。
白状します。私、エリックしか見てませんでした。
歌の前にセリフで「顔を見せて」と言われた所から、震えるだいもんが痛々しくて。
クリスティーヌの圧倒的な歌の説得力に抵抗できずに葛藤するだいもんが、絶品でした。
ここまで葛藤して顔を見せたのに拒絶されるだいもんエリックかわいそうすぎw
その後の「My mother bore me」。
オサさまの圧倒的な絶唱とは違う、芝居歌。捨てられた子犬のようなエリックの泣き声。

そして「You are my own」。
(お気づきかもしれませんが邦題が直訳にもなってなくて好きじゃないのです。)
……めっちゃ泣いた。
その前の父子の語らいでだーだー泣き、そしてエリックの歌で泣いた。
初めて、キャリエールは最悪男でいいんだと思えた。
キャリエールはどうしようもない弱い人間で、
自分の過ちの責任を取ることさえできなくて今に至るまで過ちを重ね続けている。
そのキャリエールが、自分の犯した罪の権化たるエリックから肯定される。
そのカタルシス。
世界で一人だけ、キャリエールを許し彼を必要とする存在がいる。
そんなキャリエールの物語に泣いた。

ところで。
いつからエリックは最後にみんなの前で「父さん」って呼ぶようになったんですか?
あそこは「ジェラルド」呼びを貫くから泣けるんじゃないんですか?

それはさておき。
キャリエールがエリックを撃てない理由がよーーーくわかった。
あれは、撃てないわ。エリックの死はキャリエールの死でもあったんだわ。
(それも含めてキャリエールはどうしようもない人間だなあ…と愛しく思う)

そしてキャリエールの物語は彼が引き金を引いたところで終幕を迎え、
後は音楽の天使2人の物語が残る。

ラストシーンの2人の「My mother bore me」、泣けました。
良いもの見られて良かった。


後は細かい話
・役が少なすぎる~~。演目発表時からわかってたけどさ。
・その少ない役を分け合って、あーさも翔ちゃんも輝いてました。
・前に見たのが昔すぎて、オケピ内のエリックを事前チェックするのを忘れる。
そういえば指揮者・御崎先生しばりは無くなったのか。
・でも細かいツッコミどころはいっぱい覚えてる
・なぜか英語(まあ元のミュージカルがアメリカのだから)、の歌詞がぜんぶ直ってたけど
逆に違和感。
・新曲はまだ馴染みがない。特にフィリップの歌。
・ヒメ様カルロッタ、ヒメ様全開。期待通り。
・ひらめちゃんの歌も良かった。
・長い髪を翻してガンガン踊る従者のあゆみさんに惚れる。
・にわにわのジャン・クロード、癒されました…

皆さんがこの歌声をキープしたまま来年の東京公演まで走り抜けられますように。

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