久しぶりに読み返して、心地よく「痛み」に浸りました。
角川書店版を古本屋で発掘したのは何年前だったかなあ。当時、絶版だったので。
2年前に、朝日ソノラマ社から文庫で復刊した際も勿論買いました。
サブタイトルといい、宣教師ルイス・フロイスの出番が多いところといい、
雑誌掲載時(1992年)の同名大河ドラマの影響を受けているか、もしくは
タイアップ企画だったかも(角川やし)しれませんが、
生憎と、大河のほうが未見ですのでわかりません。
最初に断っておきますと。
私は小学校時代からの、アンチ信長、明智光秀ラブです。
ですから、戦国ものの好き嫌いは、基本的に「光秀の描き方」が好みかどうかで決まります。
最近はあんまり、光秀絶賛されるのも好きじゃなくなったんですけどね。
信長を完全悪とされるのが嫌になったとか。
(勿論、光秀が小物なのは許せません!)
ベストは、大河「秀吉」の村上弘明氏演じる光秀かな。マザコンなところを除いて。
ところが。
この森川版「信長」には、戦国観が変わるほど、強く影響を受けました。
この作品は、一人の架空人物に視点が置かれています。
美濃の国に生まれ、明智光秀とは幼馴染(年齢設定がちょっとおかしい気もするが、まあ)
諸国を放浪し、堺の納屋衆・今井宗久と誼を通じ、
行き倒れたところをルイス・フロイスに救われたところから信長と接点ができる…
そんな男。
その名は「久慈 三郎」。
そう、「三郎」。
信長と、同じ名前。
彼は、もう一人の「信長」。
信長の影。
誰よりも近くで信長を見つめ、
信長に憧れ、焦がれ、そして愛され、共に生きたいと強く願いながら、
彼と共に歩む修羅の道に絶望して何度も立ちすくむ。
何せ、森川作品ですから。
三郎の、魂を切り刻まれていくような絶望感が、痛いです。
信長に踏みつけられ焼き滅ぼされていく人々の悲鳴を耳に焼き付けて。
自分の手で切り裂いた人々のささやかな夢の返り血を全身に浴びて。
自分自身も血を流しながら、泣き叫びながら。
それでも信長に必死でついていこうとした三郎の心が、
限界を超えてしまったときに出した結論の、その悲しさ。
この作品で一番、すごいと思ったコマは。
越前の一向一揆平定のための大虐殺の中で、
織田軍への憎悪をぶつけて迫ってくる民衆を切り伏せた後、
血を浴びた仏像を見上げて三郎が呟くシーン。
「笑うか 観音菩薩」
と。
初めて読んだとき、鳥肌が立った。
改めて読み返して、琴線に響いたのは、
石山本願寺で三郎と再会して、全てを悟った白雪の、震える肩。
白雪を見て、三郎は目を逸らす。
出会ったときから、三郎は彼女たちの敵方の人間だった。
彼はそれを隠して彼女たちに近づき、時には利用してきた。
そして結果として、彼の仲間たちは、彼女の父や兄を殺した。
それでも、彼は彼女が好きだったし、
何も知らずに、何も知らされずに、彼女は彼が好きだった――
運命の残酷さ。
三郎を「決断」させてしまったのは、やはり白雪の存在だったのだろうな、と
読み返して思った。
そして、三郎が刃を向けたときの、信長の瞳。
全てを理解し、全てを悟った、哀しい瞳。
三郎の裏切りは、逃げようとしたこと。
一人で先に、楽になろうとしたこと。
信長の流している血から目を背けて、自分の痛みだけを救おうとしたこと。
三郎も、そのことに気づいたからこそ、あの
「お許しください もう一緒には行けません―」
になるんだよね。
痛くて痛くて。
切なくて切なくて。
それでも、大好きな物語。
脇キャラも良いです。
光秀も家康も秀吉も、フロイスも高山右近も森蘭丸も、皆魅力的。
角川書店版を古本屋で発掘したのは何年前だったかなあ。当時、絶版だったので。
2年前に、朝日ソノラマ社から文庫で復刊した際も勿論買いました。
サブタイトルといい、宣教師ルイス・フロイスの出番が多いところといい、
雑誌掲載時(1992年)の同名大河ドラマの影響を受けているか、もしくは
タイアップ企画だったかも(角川やし)しれませんが、
生憎と、大河のほうが未見ですのでわかりません。
最初に断っておきますと。
私は小学校時代からの、アンチ信長、明智光秀ラブです。
ですから、戦国ものの好き嫌いは、基本的に「光秀の描き方」が好みかどうかで決まります。
最近はあんまり、光秀絶賛されるのも好きじゃなくなったんですけどね。
信長を完全悪とされるのが嫌になったとか。
(勿論、光秀が小物なのは許せません!)
ベストは、大河「秀吉」の村上弘明氏演じる光秀かな。マザコンなところを除いて。
ところが。
この森川版「信長」には、戦国観が変わるほど、強く影響を受けました。
この作品は、一人の架空人物に視点が置かれています。
美濃の国に生まれ、明智光秀とは幼馴染(年齢設定がちょっとおかしい気もするが、まあ)
諸国を放浪し、堺の納屋衆・今井宗久と誼を通じ、
行き倒れたところをルイス・フロイスに救われたところから信長と接点ができる…
そんな男。
その名は「久慈 三郎」。
そう、「三郎」。
信長と、同じ名前。
彼は、もう一人の「信長」。
信長の影。
誰よりも近くで信長を見つめ、
信長に憧れ、焦がれ、そして愛され、共に生きたいと強く願いながら、
彼と共に歩む修羅の道に絶望して何度も立ちすくむ。
何せ、森川作品ですから。
三郎の、魂を切り刻まれていくような絶望感が、痛いです。
信長に踏みつけられ焼き滅ぼされていく人々の悲鳴を耳に焼き付けて。
自分の手で切り裂いた人々のささやかな夢の返り血を全身に浴びて。
自分自身も血を流しながら、泣き叫びながら。
それでも信長に必死でついていこうとした三郎の心が、
限界を超えてしまったときに出した結論の、その悲しさ。
この作品で一番、すごいと思ったコマは。
越前の一向一揆平定のための大虐殺の中で、
織田軍への憎悪をぶつけて迫ってくる民衆を切り伏せた後、
血を浴びた仏像を見上げて三郎が呟くシーン。
「笑うか 観音菩薩」
と。
初めて読んだとき、鳥肌が立った。
改めて読み返して、琴線に響いたのは、
石山本願寺で三郎と再会して、全てを悟った白雪の、震える肩。
白雪を見て、三郎は目を逸らす。
出会ったときから、三郎は彼女たちの敵方の人間だった。
彼はそれを隠して彼女たちに近づき、時には利用してきた。
そして結果として、彼の仲間たちは、彼女の父や兄を殺した。
それでも、彼は彼女が好きだったし、
何も知らずに、何も知らされずに、彼女は彼が好きだった――
運命の残酷さ。
三郎を「決断」させてしまったのは、やはり白雪の存在だったのだろうな、と
読み返して思った。
そして、三郎が刃を向けたときの、信長の瞳。
全てを理解し、全てを悟った、哀しい瞳。
三郎の裏切りは、逃げようとしたこと。
一人で先に、楽になろうとしたこと。
信長の流している血から目を背けて、自分の痛みだけを救おうとしたこと。
三郎も、そのことに気づいたからこそ、あの
「お許しください もう一緒には行けません―」
になるんだよね。
痛くて痛くて。
切なくて切なくて。
それでも、大好きな物語。
脇キャラも良いです。
光秀も家康も秀吉も、フロイスも高山右近も森蘭丸も、皆魅力的。
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