「今更手に取る名作」シリーズ。(いつから??)
直接のきっかけはハリウッドで映画化が企画されているというニュースを見たこと。
監督はマーティン・スコセッシだって?
舞台は日本なんだろうか、他の国になるんだろうか。
ってゆーか。
拷問シーン痛そうだな…(イメージは「ギャング・オブ・ニューヨーク」のみ。)
などなど考えていたら読みたくなりまして。
(あらすじだけは知ってる、という、良くないパターン)
図書館で借りて、特急内で一気読み。
江戸時代初期、禁教令の敷かれた日本に侵入し、
地下布教をはかったポルトガル人司祭の物語。
隠れキリシタンの物語、というと、児童文学の名作、
今西祐行の『浦上の旅人たち』がついつい頭に浮かぶ私ですが、
違う時代、違う視点で紡がれると、こんな形になるのか…!とやや驚嘆しました。
(『浦上』も凄いです。お勧めです)
私自身は仏教徒だし(最近わりと意識的に仏教を信仰している気がする)
キリスト教的な、というかヨーロッパ中心的な思考への反発も強くて、
最初はなかなかロドリゴたちに感情移入しにくかったんだけど、
…そういう点では前半の「書簡」形式はとっても効いた。
ロドリゴの思考回路に反発を感じつつ、気づけば彼の心情に寄り添い、それを追っていた。
神とは何か。
というか、
神はいるのか。
という、聖職者ならば持ってはいけない問いが、
自分の実感として答えを与えられるクライマックスのカタルシス。
そして、それが改めて言葉として語りなおされるラストシーンのカタルシス。
ああ、これは、名作だわ。
ロドリゴの周囲のキャラクターも効いてるなあ。
奉行の井上、通辞の男、素朴な殉教者たち、主人公の鏡のような存在のガルペ、
「転びのペテロ」フェレイラ、そして誰よりも、キチジロー。
ロドリゴが最後に見つけた神の姿は、もしかしたら教会の説く神とは違うものなのかもしれない。
フェレイラを絶望させた、ゆがめられた形のデウスなのかもしれない。
それでも、そのキリストの姿は、この異教徒の私を打ちのめすのに足る、
崇高で偉大な神の姿だった。
映画が(邦画のほうも見たいと思いつつ)見たいな、と興味を喚起されつつ、
文学の力を実感し、それに浸る快感を味わう。
やっぱり本を読まなくちゃね。
直接のきっかけはハリウッドで映画化が企画されているというニュースを見たこと。
監督はマーティン・スコセッシだって?
舞台は日本なんだろうか、他の国になるんだろうか。
ってゆーか。
拷問シーン痛そうだな…(イメージは「ギャング・オブ・ニューヨーク」のみ。)
などなど考えていたら読みたくなりまして。
(あらすじだけは知ってる、という、良くないパターン)
図書館で借りて、特急内で一気読み。
江戸時代初期、禁教令の敷かれた日本に侵入し、
地下布教をはかったポルトガル人司祭の物語。
隠れキリシタンの物語、というと、児童文学の名作、
今西祐行の『浦上の旅人たち』がついつい頭に浮かぶ私ですが、
違う時代、違う視点で紡がれると、こんな形になるのか…!とやや驚嘆しました。
(『浦上』も凄いです。お勧めです)
私自身は仏教徒だし(最近わりと意識的に仏教を信仰している気がする)
キリスト教的な、というかヨーロッパ中心的な思考への反発も強くて、
最初はなかなかロドリゴたちに感情移入しにくかったんだけど、
…そういう点では前半の「書簡」形式はとっても効いた。
ロドリゴの思考回路に反発を感じつつ、気づけば彼の心情に寄り添い、それを追っていた。
神とは何か。
というか、
神はいるのか。
という、聖職者ならば持ってはいけない問いが、
自分の実感として答えを与えられるクライマックスのカタルシス。
そして、それが改めて言葉として語りなおされるラストシーンのカタルシス。
ああ、これは、名作だわ。
ロドリゴの周囲のキャラクターも効いてるなあ。
奉行の井上、通辞の男、素朴な殉教者たち、主人公の鏡のような存在のガルペ、
「転びのペテロ」フェレイラ、そして誰よりも、キチジロー。
ロドリゴが最後に見つけた神の姿は、もしかしたら教会の説く神とは違うものなのかもしれない。
フェレイラを絶望させた、ゆがめられた形のデウスなのかもしれない。
それでも、そのキリストの姿は、この異教徒の私を打ちのめすのに足る、
崇高で偉大な神の姿だった。
映画が(邦画のほうも見たいと思いつつ)見たいな、と興味を喚起されつつ、
文学の力を実感し、それに浸る快感を味わう。
やっぱり本を読まなくちゃね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます