中禅寺湖の周りの山の上で気がついたことがある。
標高が高くなるにつれて木の数が減って、山笹が地表を覆うようになったことと、もう一つは山頂に近いところで立ち枯れした大木の多いこと。
1600mあたりでは写真のとおり、沢山の大木が立ち枯れしている。
これには驚いた。 このままでは近い将来、木がなくなりあたり一面、山笹に覆われてしまうのではないかと危惧する。
そういえば、10年くらい昔、排気ガスなどから出る硫化物によって酸性雨の話しが環境問題と表裏一体で議論されていた。 その後、車には触媒が義務化されて、工場からの硫化物排出も、新技術等でかなり改められている。 従って、最近は環境問題の主役はもっぱら地球温暖化(二酸化炭素排出)に変わってしまっている。
しかし、実際には酸性雨の問題は解決しているわけではなく、写真の如く、環境破壊を続けている。 なんとかしなければ、と考えてしまう。
目の前で見る立ち枯れの大木は、寂しさを感じさせる。
人間の好き勝手な生活レベルの向上は、結果としてとんでもない悪さをしていることになる。
「今、やれることからやろう」という言葉をモットーに生活の中で環境に配慮していきたいと思う。
標高が高くなるにつれて木の数が減って、山笹が地表を覆うようになったことと、もう一つは山頂に近いところで立ち枯れした大木の多いこと。
1600mあたりでは写真のとおり、沢山の大木が立ち枯れしている。
これには驚いた。 このままでは近い将来、木がなくなりあたり一面、山笹に覆われてしまうのではないかと危惧する。
そういえば、10年くらい昔、排気ガスなどから出る硫化物によって酸性雨の話しが環境問題と表裏一体で議論されていた。 その後、車には触媒が義務化されて、工場からの硫化物排出も、新技術等でかなり改められている。 従って、最近は環境問題の主役はもっぱら地球温暖化(二酸化炭素排出)に変わってしまっている。
しかし、実際には酸性雨の問題は解決しているわけではなく、写真の如く、環境破壊を続けている。 なんとかしなければ、と考えてしまう。
目の前で見る立ち枯れの大木は、寂しさを感じさせる。
人間の好き勝手な生活レベルの向上は、結果としてとんでもない悪さをしていることになる。
「今、やれることからやろう」という言葉をモットーに生活の中で環境に配慮していきたいと思う。