猫・桜・自然・発煙筒・祭り・時々御酒と独り言

お立ち寄り有難うございます。

家猫6人庭猫2人と桜に囲まれ 忙しない毎日を生きております。

母(=^.^=)は 強し

2012-08-16 19:02:47 | 猫・(=^・^=)・ネコ
 悲しみから一夜明けた駐車場 何時もより私が 早く帰れたので寄って来たチイマに猫缶を上げました


 暫くして子猫の状態をと振り返ると 何と食べている親子の傍に耳齧り君が・・・

 最近・我が家の庭猫達の中に 以前から時々 餌場に立寄っていた暴れん坊耳齧り君が此処数ヶ月 頻繁に顔をみせる様に成りました。

 雄猫独特の縄張り意識が特に強く 優しい雄猫達を追払って居る様です。
 
 最近・チビクロは此処二ヶ月 シャムも三日間 姿を見せなく成り始めました

 

 その耳齧り君が何とチイマ親子の食事を 黙って見守って居るでは 有りませんか

 とてもとても信じられない光景です

 

 先日・親子3人の食事時に来た耳齧り君を追い回したチイマママの剣幕に驚いたのか 其れとも此のチビちゃんのパパなのか? 

 猫語が判れば 聞いてみたいです二人が満足したのを見て 初めて猫缶を口にし始めました(笑)

 

 未だ 亡くなった子供の場所に前に座り気にしては居る様ですが 取敢えずは御腹が一杯に成った様です。

 今宵はチョッピリを頂きたいと思います
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秋雲が出て居ます

2012-08-16 17:16:29 | 日記
夕方ですが 未だ34.4℃有ります。
久々に今日は 助手席に居ます。
今日も遠くには 入道雲が 四個程 雲の下は 雨なのでしょうか?
昔は 夕立と言って居ましたが 今は ゲリラ豪雨 日本語も味気無くなりました。
穏やかな夜を迎えられます様に………
帰省や旅行でお帰りの皆様 ドウゾ気を引き締めて 安全運転でお帰りください
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子猫・その後・・・

2012-08-16 04:44:29 | 子猫
 

 先日 私のブログで御紹介した 庭(=^₌^=)の左側の子が亡くなりました。

 8月15日23時00分に帰宅した所 道路に面した駐車場の横に 無残にも 半分潰された子猫が横たわっていました。

 車のヘッドライトで横たわった子猫を見守るように母猫が 見えましたので全ては 察したのですが・・・・母猫が 訴えるかの様に珍しく私に『ニャー・ニャー』と話しかけてきました。

 急いで猫缶を開けて餌場に置いて母猫の気を逸らして その隙にダンポール箱に回収しておきました。

 懇ろに弔ってあげたいと思います。

 先程・駐車場を覘きましたら 子猫が倒れていた場所に 先程と同じ様に座り その場所をジッと見ていました。

 梅雨のジトジトを乗越えこの暑さを何とか耐えて漸く 乳離れしたと思った途端の災難だった様です。

 旧盆の静かな街の音に囲まれて逝ってしまった 未だ名も無い子猫に合掌  チョット オサケヲ ノミタイキブンデスガ・・・・
 
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34℃が最高気温の終戦記念日でした

2012-08-16 01:20:40 | 日記
 深夜にこんばんは

 終戦記念日の夜と成りました。

 私の母が生きて居た時は 終戦の日の事を 良く話していました

 その頃の母の実家は 北海道の道東の漁港で14人の大家族の長女として食べ盛りの家族の食糧を調達するのが 日課だった様です。

 当時のお米は 配給制・米穀手帳が無ければ お米屋さんでも買えない時代でした。

 敗戦濃厚だった頃に成るとその配給を戴くのも大変だった様で 粟・稗・芋『此れは・道東の様な 寒冷地でも収穫が出来た』が手に入れば 最高だった様です。

 良く・食料を調達に着物等との物々交換『軍票や現金は×』が主だったので 富良野や旭川『当時も道内米の米処』まで兄と闇ルートを探して出かけたなのだとか・・・・

 その終戦日の数日前に 列車で移動中にB29に機銃掃射を受け 命からがら列車から逃げたのだとか・・・・

 憲兵等の闇米狩りも必死に逃げて旭川駅に逃げ込んで 人混みの端で 大事な放送が有るとの事で耳を澄ませて聞いたのだが 泣き声と喚き声で何だか判らない内に 隣の人が『負けた』との一言で 『あァ 終わったんだ』と思ったのだとか・・・

 その後の道東のまでの 哀願して哀願して交換して貰ったお米をリュックに入れての帰宅までは 襲撃・略奪の目を避ける為 日中は隠れて 深夜に線路をひたすら歩いたのだとか・・・ 母の暑い暑い夏の思い出と悲しい記憶が 昨日の事の様に話していました。


 ですから私の生まれる前の終戦記念日の事は その母の悲しい悲しい思い出の記録なのです。  追記 08.16.04.44分

 

 
 
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