私が 上京した時に 車の通行の邪魔だ・トロトロと遅くて時代にそぐわない等の世論と赤字の為に
廃止が 決まった後も生き残った荒川線にちびっ子と乗りに来ました
実は 都議会で都電廃止が決まった翌日に私は 釧路からの商船三井の貨客船の船底の船室の船旅をして
東京に向かって居ました
其れが一番安くて内地『道内から本州の呼び名・戦前戦中の満州や南方の呼び名』に行く手段でした
貨客船と言ってもカーフェリーと違い荷物は材木でしたので手間取り出航が6時間以上待たされて
着いた浜松町の埠頭は 大雪で接岸が叶わず
何とか接岸した横浜の桟橋に着き 荷物は 行李『竹細工の持ち運び出来る物衣装ケース』を二つ
此れは 父が養子に行った先の 義祖母が経営していた料亭の名の『さざ波』もの・・・・と
布団袋を お相撲さんの引っ越しの様に抱えて降り立った先は 一面の雪景色・・・・
唯 そんな船が出て居た事さえ同級生は誰も知りませんが・・・・
三等船室にはもちろん私だけ・・・・
一等船室には 定年後の余暇を楽しむ老夫婦『多分・私の今より若く・・・・
本来は 船長と一等乗客との三食の食事を船長と 同席を了承した一等客室の夫婦の心広い優しさに
恵まれて 同じ物を同じ食卓で朝・昼・晩に戴きました
船には当たり前の様に規則が有り 上位船室の方はと三等船室には 行き交う手段も無くて
貴族と下々のものとの格差がありました。
ですから 此のチンチン電車は 私の東京での出発の一歩の時の大雪と重なります
レトロ感とチッコクて ガタガタ揺れて面白い電車と見えたみたいで 私のちびっ子達には 何故か好評でした
この後 巣鴨に行きます
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