1995年1月17日 05時46分 阪神淡路大震災が発生してから26年を迎えました
未だ明けやらぬ時間帯に 関西で大きな地震があった事を繰り返し繰り返し放送しながら東京のNHKテレビ画面は 大きなコンクリートの塊が倒れて居る映像を流して居ました
私はと言えば 中央道り下り線の緊急が入って居た時でしたので 急いで向かう途中もラジオを付けっぱ無しで 少しでも情報を集めようとして居ました
もう当時の事は 忘れられた事は沢山多くて 彼方此方で火の手が上がり近隣から来た消防車が ホースの接続が出来ずに『日本国内には 消防用品を扱って居る会社が三社有りそれぞれの径が違い』ジョイントして接続しての放水が侭ならずならず 殆んどが崩壊した建物の下敷きに成って居た方々を救い出す事も出来ずに延焼を止める事も出来ずに 生きたまま見殺しに成った悲しい情報が流れたりして 手をこまねいて居る現状でした
当時も右往左往する某・国立の幼稚園の園長が担当大臣で・・・
私には 今回の新型コロナウイルス騒動とダブって見えて『自助・互助・共助・公助』等とのたまった総理大臣の言う通り お国は当てに成らないんだろうナと再認識したりして・・・・
此処数年・阪神淡路大震災に 敗戦直後の際と同じ様に 食べる事に生きる事に困って居る身よりが亡くなったり生活の糧を失った方『女性』に対して性的要求をしたり行為をしたりした事が声を上げ始めて居ると聞きました
トテモトテモ悲しい出来事が どさくさに紛れて有った恥ずべき行為を忘れては成りませんネ
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