日野市をmyチャリで走り回って居たら 日野駅の豊田寄り線路沿いにお地蔵さんを見つけました
割と車で良く通る場所では有りませんし随分以前に通りかかって写真を撮った記憶が有りますが・・・・・・
正徳3年『1713年』に建立されたお堂は明治時代に焼失されて居て 現在のお堂は昭和7年に再建されたそうです
此方のお堂は 本尊・延命地蔵尊座像が法輪形光背の青銅の坐像と書かれて有ります
青銅製なので焼失をまぬがれたりでしょうか?
建立された経緯で江戸小舟町の井田八右衛門が釈宗威信士菩薩の為に作ったと有りますが 一日かかりどう調べても分からなかったのですが
深夜に成って 日野市観光協会の文章と掲示板を見比べて見ましたら 信士の部分が消えていて釈宗威信士の部分を抜いてみましたら 何となく亡くなられた方の戒名ではと気付きました
義父が無くなった時に 事前に頂いた戒名を書いたのですが 似た様な名前だった事を思い出しました
此方には 石地蔵の大きなものと小さな六地蔵が並んで立っています
個人的には 大きな地蔵さんは随分・目鼻立ちがハッキリして居て風雪に耐えた304年経過したお顔には見えません
首から上は 付け替えられたのかも知れませんネ
お地蔵さんの建立は 元文2年『1737年』との記載が有りますが 享保元年『1716年』の説も有ります
この場所は 甲州街道の日野宿の西側にあり 西の地蔵と呼ばれて居ると言われています
この西の地蔵の小さな通りは 古地図を見ましたら日野駅前を通る『バイパスが出来てから旧甲州街道に成りました』が駅の手前を一瞬・左に曲がり 此の地蔵さんの前が旧旧甲州街道だった事も分かりました
一部のブログには 此方の地蔵さんが移転されてと書かれて有ります
私の好きな古地図が こんな時に役に立った一日でした
日野市の東側で現在の日野橋側には その昔・橋が無くて渡しが有ったとの記載が有りますし 鰻に川の氾濫を教えてもらった鰻の言い伝えが有りますので
以前は鰻を食べなかったとのお話を以前に伺った事が有ります
又 何処かで日野市の街歩きをさせて頂き ブログにUpさせて頂きます
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