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2年前の夫の笑顔です。
夫は「魂が抜かれるから」と変な理屈を付けて極端に写真嫌いだったので殆ど正面の画像がないのですが、これは欲しがっていた車が納入されたときにディラーさんから撮って貰った貴重な一枚です。
この車ならロードバイクの大会に2台のバイクを積めるから、この先何年もは乗れないから元気なうちに人生を楽しみたいetc・・・と夫は色んな理由を付けて購入しました。
我が家の家計では背伸びした買い物でしたが、この少年のような笑顔の前に「仕方ないか」と私も折れました。
こんな笑顔で元気に精力的に仕事にも取り組み、豊富な知識を持って、周りを明るくしてくれた夫です。
もう一度この笑顔に接したい!と一縷の望みを持って、この写真をパソコンの壁紙にして朝に夕に見つめていました。
でも倒れて4ヶ月が過ぎて、この笑顔を見つめるのが辛くなり壁紙から外しました・・・・
体力が落ち声も出なくなり無表情の目の前の夫の姿を私は受け入れる時期だと、少しずつ悟りつつあります。
「赤ちゃんが健やかに育つためには大らかな母親が必要で、赤ちゃん返りした○○にはできるだけ大らかに構えて見守って上げて下さい」
夫の友人の言葉です。
心に刻み込んで接していますが、夫を見つめていると涙が出て来てしまって実践するのがなかなか難しいです。
本当に嬉しそうにされてました。
いろんな事がこの半年間に起こり過ぎて、私も未だに事態を理解出来ないでいます。
まだまだ暑い日が続きます。どうか奥様もお体に気をつけてくださいね。
誰にでも気さくに話しかけていた夫ですから、今は無表情でも、夫の体の深部ではこの笑顔は息づいている気がします。
お気遣いありがとうございます。私は元気です。
看護師でもある義妹が手際よく父に接して
必要なものを揃え、対応してくれたことに
単純に「ありがたい」という感謝の念と、
どうしてあたしにはできないんだろうという
劣等感を抱いていました。
今でもマロのお世話をしながらふと思い出しまし。
できなかったのはあたしにはそういう知識や技がないだけじゃなくて
父のことをとても尊敬していたので、受け入れられなかったんだと思います。
あたしはそれに気づいた頃には父はもういませんでした。
ちらり〜んさんはまだ十分時間があります。
ゆっくり「母親のような気持ち」なるものを目指されては?
そういえば、涙ってストレス解消になるんですって
だから涙も悪いことじゃないと思う
今の夫の姿を受け入れるのには大きなエネルギーが要ります。
自宅につれて帰りたい思いがとても強いのですが、介護の知識がない私が果たして一人で出来るだろうかと不安が膨らんできて、不安と思いとが交錯し、不安がコップいっぱいになると、少しの振動で涙となって溢れこぼれています。
介護制度や利用方法を調べ、胃瘻栄養のチューブ連結を学び、自宅での着替えやおむつ交換の仕方をイメージトレーニングし、苦しがる吸引の仕方や自宅改造などなど・・・
周りの手助けを借りて、一つ一つクリアしていきます。
泣いてる暇などないのかも知れません。