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映画 鬼太郎誕生ゲゲゲの謎

2023-11-21 14:53:06 | 日記

映画 鬼太郎誕生ゲゲゲの謎

 原作者の水木しげるさんは、おそらくは徹底したニヒリストであったと想像する。戦争でひどい目にあったことの他にもともと軍隊と相性の合わない性格であったのに軍隊に何もかも支配される時代を過ごしたことによるだろう。「もう何言うてもあかんわ。」という徹底したあきらめの気分である。この気分を持つ者のうちの一部は、妖怪変化の世界(に限らず自分の紡ぎだした世界)に生きることが唯一生きる道になってしまう。

昔将軍足利義政は、都の戦乱を見ながら自分の作り出した東山文化の美の世界に中に閉じこもって出ようとはしなかった、それと同じである。何を言ってもあかんと考えるときは、自分の作り出した強固な城の中に閉じこもるのが唯一心の安定を保てる道であると思う。私は銀閣のたたずまいにもう何言うてもあかんわという義政の淋しさを感じる。(たぶん嫁さんの日野富子に対してではないか。ここを映画なり小説にすると大ヒットするのだけどな。)

 「もう何言うてもあかんわ。」という経験がそのあとの私どもの世代にも当然ある。小学校中学校のころの教師の中には、モト陸軍大佐とかいうのが一杯いた。教えるのがヘタなうえに何時間でもくだらないお説教をする反対の意見を述べるとお説教が十倍にも二十倍にもなるから聞いてるふりをしないといけない、これほど迷惑なヒトはいなかった。さすがにこれはまずいとなったのだろう、若くて優秀なヒトと交代したが、そのモト陸軍大佐というひとはそのまま教育委員会へ行くというではないか。世の中はこういうヒトによって支配されているのかと思うとさらにもう何を言ってもあかんと確信したのである。(今も会社や役所はこの何言ってもあかんと思わせる人に満ち溢れている。少しは反省したらどうなんだ。)

 ただ義政のように自力で自分の美の世界を作り出してその中に住み続けるということができないヒトがほとんどなのでどうしても他人の作り出した美の世界を借りねばいけない。その時、一群の人々は美の代わりにもっとわかりやすい妖怪変化の世界に惹かれる、そのヒトを引き付けるニヒルな妖怪の世界を作り出したのが水木さんだと考えられる。わたしは、そこ(水木さんのニヒリズム)に引き付けられたうちの一人である。

 

 さて、映画には水木さんの影響が完全に落ちたのであろうニヒリズムの味わいがなくなってしまってがっかりした。重要な脇役である一反木綿や沙かけ婆とかが出てこないし、一番肝心のねずみ男もほんの少しの出番である。いきなり出だしからの八墓村の焼き直しのストーリーには心底がっかりした。映画八墓村が作られたのは、草深い田舎から都会に出てきたヒトがまだ都会のあちこちに居たころの話である。やっと都会に慣れたヒトがこの映画を見ておおそうであったと昔を懐かしく思い出したのである。今のヒトは、都会育ちである、または田舎を持っている人もその田舎が遠くモンゴルとかベトナムとかになってしまっている、日本風の田舎ではないので八墓村はもう受けないだろう。このストーリーでは、今の都会育ちの観客には訳が分からないであろう。

 そうは言いながら、シナリオライターは現代社会に対する痛烈な皮肉の言葉をあちこちにちりばめている。同じ問題意識を持っている人がこの映画の皮肉な毒のある言葉に接すると「あんたもそう思っているのか、確かにそここのままではいけないよな。」と思わず手をたたきたくなる言葉である。

 その意味で、この映画の製作者は全体の構想が時代遅れで失敗したが、シナリオライターはじめ制作に携わった人々は精いっぱいの社会批判の言葉を盛り込むことに成功した。ただし、水木さんのニヒリズムを求めて見に行った観客はがっかりした映画である。