くそじじいとくそばばあの日本史(大塚ひかり ポプラ社2021年第8刷り)
日本昔話などでは、昔の日本のおじいちゃんおばあちゃんは、よいヒトとがめついヒトが半々でがめつい人もその程度は可愛いし、すぐに反省しそうな雰囲気である。しかしこの本ではそんなことはない、よいヒトでも相当ガメツイしガメツイヒトは一切反省がないほどの性悪であると様々な実例で説く。
日本昔話の原文は、たぶん筆者の説くような内容であったろう。教育的配慮で今世間に流布しているあのような内容になったと考えられる。そういえば、アンデルセンもグリムも恐ろしい話だしイソップも原文を知らないが多分恐ろしい話だと思う。我が日本だけが例外であるはずがない、原文は恐ろしいものであったと想像される。なぜ子供に恐ろしい話をしたのか。たぶん子供が寝る前におばーちゃんが聞かせるのであろう、それは良いことなのか。もし残虐なことを聞かせた方が子供が良く育つということであれば、今からでも遅くはない我々は改訂版日本昔話(残虐篇)の執筆にとりかからねばいけない。
わたしは、平安時代は優雅な時代で京の都では(陰険な権力闘争はあったと想像されるが)歌を詠みながらの恋愛ばかりしていたものとのイメージがある。しかしとんでもないエロ爺とエロ婆が、笑われるような事件もおこし暴力沙汰もあったようである。どうも朝廷の周辺で不祥事が起こったことを教育の場でまたは時代劇テレビドラマで描くことはご法度のようである。だから今まで知らなかった。この本を読まなければ一生知らないままであった可能性が高い。平安の時代でも今と同じである。身分の高い人もそうでない人も、エロごとと物欲に生きていた。我々は勝手に平安貴族はエロごとと物欲はないものと、たとえあったにせよそれは極めて優雅で小さいものと勝手に思い込んで居たのである。
翻って今現在を見るに我々は、何とか議長や何とか副大臣にはエロごとと物欲はあってはならぬ、いやないものと思い込んでいないか?たまに自分たちと同じ性根のヒトで、ことが露見すると首相の任命責任とまで言い募る。そのくらいのことはオオ御同輩であると見てあげればいい。その代わり増税やりすぎやないかとか、ちょっとここで利権団体に利益吸い取られスギやないかとか、突っ込みどころはもっと他にあるのではないのか。自分がその立場に立てばするであろうことを、自分ができないばっかりにそれをやっているヒトを責め立ててても溜飲が下がるだけで何もいいことが起こらない。お前はこんなスケベーなことをした、こんながめついことをしたというのは、政治がワイドショーになっているのである。政治論争とはそういうものではないであろう。
くそじじいとくそばばあの政治論争という題で誰か書かないかなー。本当はエロくてガメツイ令和の国会論争との副題をつけてである。