介護の裏(文春新書 甚野博則)
最近介護施設に面会に行くことがあって、その対応に出た職員のひきつった笑顔を見て感じるところがあって読んでみた。感じるところとは、善意でお勤めになったが業界の闇を見て本当はやめたくなったが事情あってずるずるとその闇と共存することになったヒトの持つ引きつり笑顔である。この本を読むと、その時感じたこと以上に深い闇が介護業界にはありそうである。
およそモノ言えない(またはモノを言わせなくした)ヒトを集めて管理するというところはいくらでもひどいことができる。(江戸時代の小伝馬にあった牢屋がそうであろう。戦争時の日本軍の中もそうであろう。わたしは小学生であった時、暑い中立ったままつまらない話をだらだら聞かせる一学期の終業式の時にそう思った。)
さらに大金をそこに投入すれば、ずるい奴がずるいことをできる環境である。(自分はしないと思っているかもしれないが、その立場に立っていないからそう思うだけである。)外部の批判の入らないところではやりたい放題になるのは眼に見えている。悪貨が良貨を駆逐するように、悪意が善意を駆逐する業界であることは想像できる。しかし、それを監督する行政がしっかりしておれば、あんまりひどいことにならないだろうとお人好しにも良いように思い込んでいた。この本を読んでそうではないことが描かれている。行政の意識的なサボタージュがあるのではないか。我々はせめて地方行政機関の首長の仕事を監視しないといけないだろう。
文春の記事をまとめた本で、もとは雑誌記事である。雑誌は、訴訟を起こされると面倒だから徹底的な裏どりがあると聞くので、この本に内容は信じていいだろう。信頼できるルポルタージュになっているがただ、以下の点に関しての突っ込みが足りないと思う。雑誌ではここまでは書く必要がないのかもしれない、しかしこれは新書であるからここまで書くべきであると思う。是非続編をお願いしたい。
- 現に介護施設に入っているひとやその家族はどうすればこの状態から抜け出ることができるのか。
- 介護保険制度を改善するにはどこをどうすればいいのか。
なお、私の主張は年金制度や介護保険制度が子供をつくらなくなった原因であると考える。ヒトは子や孫に囲まれて賑やかに老後を過ごしたいと願うことライオンや象も同じである。(噂ではクジラもそうであるらしい。)その願いを介護保険制度があるので持たなくてもいいと錯覚させてしまったのである。今、子を持つ親の顔には将来この子に面倒を見てもらおうとの気持ちはみじんも見えない。それは良いことだと本人も思い周囲もそう思っている。違うのである。自分は老後この子と賑やかに過ごしたいと願いつつ育てねばならないのである。その子は恩をいずれは返さねばと思いながら大きくならねばいけないのである。介護保険はこの醇風美俗を失わしめた。介護保険の制度設計のもとになるものを見直す必要がある。子育て支援金もまた同じような矛盾に満ちたものになる可能性がある。凡そ官が制度設計したものは、役に立つと言えば確かに立つのであるが飛んでもない方向に社会全体を導いていくことがある。