映画 ジョーカー フォリー・ア・ド (アメリカ版四谷怪談)
映画羊たちの沈黙やカッコーの巣の上でを思わせる映画である。狂気を映し出して軽い恐怖を楽しみたい、すなわちお化け屋敷に入りたいという願望を持つ人のための映画である。ただ西洋に多いとされる二重人格かどうかの境目または二重人格を演じるところがあるから、日本人が感じる恐怖とは少し質が異なる。
西洋は子供嫌いの文化であるという。対して日本はだいぶん変わってきたとはいえ子供好きの文化である。虐待された子供は二重人格になりやすいらしいから、ジョーカーのような人物が生まれやすいとみられる。西洋ではこのような映画で恐怖が表現されるのだと思う。対して日本は今でも女性を抑圧するところがある。女性が恨みを抱くのであるからお岩さんまたはお菊さんである。
おそらく、西洋ではお岩さんお菊さんは「まあそんなこともあるでしょうが、そんなもん怖いのか。」と言われそうなところがあるだろう。わが日本ではこのジョーカーを見てやはり「まあそんなこともあるでしょうが、そんなもん怖いのか。」と言いたくなるのである。これが西洋で評価が高く日本ではお客の入りが今一つなのはこういう事情だと思う。
おそらく都市化した西洋文明の弱みは、子供嫌いの文化に起因するだろう。(ジョーカー自身も自分が嫌われてきたことを映画の中で語っていた。また、最近の日本の状態を見てもその方向に向かっているような気がする。)都会化すると競争が激しくなり子供に目が向かなくなる。米国は移民によってやっと人口が保たれている。競争あるいは闘争の激しいところでは子供は生まれたり育ったりしないのである。
アメリカ映画のお家芸である法廷闘争の映画でもある。社会の根幹が法廷だろう。(わが日本では未だに文章に明示されていない職場などの人間関係が根幹であると考えられる。)その法廷がこの映画で爆破されたのである。そうして最後にジョーカーがその死の直前に「繁栄を継がすべき子供がいないこと」を嘆くのである。
つまらない恐怖映画に見せかけて、この法廷爆破とジョーカーの嘆きはこれからの社会の大変化を予言する場面であると見た。