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昭和はこんな時代であった② 医療事情など

2024-10-15 11:19:56 | 日記

昭和はこんな時代であった② 医療事情など

昭和30年代前半 医者病院の数は少なかった。市街地でも病院はずいぶん遠い。ただ陸軍の衛生兵だった人が近くに開業していたが評判は良くなかったのであまり行かなかったようだ。大人の中にはやいと(お灸)を頻繁にする人がいた。ために背中はムカデの足のように背骨に沿うて黒い点がついている。昔のやいとは皮膚が焦げて黒い点がつくのである。灸屋さんは街のあちこちにあった。街のあちこちにあの独特のにおいと、熱いからだろうと思うがうめき声が聞こえる民家を改造した灸屋があった。鍼医は灸屋さんより数は少なかったように思うがこれもあちこちにあった。子供はまれに鍼医に行かされることがあった。

 病気になると近所の物知りに症状を言って、物知りが漢方薬を教えてくれる。その処方を覚えて漢方薬屋へ行くことが多かった。面倒な薬の煮出しは各家で行った。物知りはおばあさんであることが多かったが尊敬されていた。

 物知りおばあさんは、いうことを聞かない子供のしつけも頼まれると引き受けたようだ。「𠮟り婆」というらしい。私も数回行かされたことがある。6畳くらいの部屋の真ん中に大きな仏壇があって、金地に緑泥字であったか、緑泥地に金字であったか定かでないが立派なお経がおいてあった。金と緑泥は美しいコントラストであると感心したことを覚えているのみで、お説教は全く覚えていない。

当時の病院は入院すると家族の誰かが一日中付き添いをせねばならないから大変であった。そのうえ老人介護の施設はなかった。(保育園もなかった。ファミレスもマクドナルドもなかった。)主婦の仕事は大変な重労働であった。どの家でも亭主は給料のほとんどをカミさんに手渡すことになるのは当然の成り行きである。主婦の発言権は今とは違う意味で絶大なものがあった。代々のお金持ちの家(もと庄屋さんとかで結構な数があった)を除いて亭主は家の中で偉そうに振舞えたけれども、お財布の中は軽いものである。戦後強くなったのは女性とか言ってるけど、この様子ではたぶん戦前から強かったのではないか。

家で出産する人もいたし、家で最期を迎える人もいた。それにかかわるから女性の仕事は大変であった。いったん結婚すると、離婚しないで我慢したのは大事な家事労働者であったからであろう。

最近女性も会社で働くようになっていいことだといわれているが、会社で苦労に見舞われている人も多いようだから「一難去ってまた一難」の状態であるように見える。男は家の中でさえも偉そうに振舞えないようになってしまったからから「大損」または「丸損」である。