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本の感想

本の感想など

小説 新坊ちゃん⑳ 試験場準備の日

2023-07-15 09:18:39 | 日記

小説 新坊ちゃん⑳ 試験場準備の日

 次の日出勤するとわたしの下足箱に大量のごみが押し込んである。ごみの隙間から上履きを引きずり出して何とか職員室へ上っていく。これはわたしにもう学校をやめろとのサインである。手の込んだことをする。直接言いに来ないのは根性がないともいえるが、だんだん追い詰めてやろうとの作戦とも思える。きっと昨日のわたしの発言を誰かが聞いていたか、石川さんがだれかに喋ったかのいずれかである。ということは、これが図星であるという動かぬ証拠ではないか。

 さらに職員室のわたしの椅子には、押しピンがさかさまにして置いてあった。根拠はないのだがこんなことするのはキツネ目に相違ない。黒田がキツネ目に依頼したに違いない。母親の怒り嘆きはあるだろうがもうどうあっても学校を辞めねばなるまい。何も言わない父親には申し訳ない気持ちがするがここまでくればやむを得ない。

 昨日の発言は、さすがに普段なら危なくてやらないだろう。黒田や油爺を敵に回していいことは何もないと判断するだろう。しかし木曽先生がこれじゃ浮かばれない、なんとか一矢報いてやろうと思ったのである。相手が普通の人なら、あんなこと言われたらちょっとおとなしくしておこうかと思うだろうとわたしは考えたのである。しかし黒田はおとなしいヒトではなかった普通の人ではなかった。勝てない戦をはじめるのはバカである、わたしはバカになってしまった。それまでまあ普通にものごとを見通す力があると思っていた。無いのである。いやあるにはあるんだが義憤を起こして何も見えなくなってしまって失敗してした。力のないものは何もしないのが良いことなのである。わたしは甘かった。あきらかに力がないのにあんなことを喋ってしまった。

朝から試験場準備で半日雑用をする。だれも仕事の間心中事件の話をしないのはさすがである。昼飯が終わったころ宿直以外のものは帰ってよいと放送がある。宿直は四名で徹夜で試験問題が盗まれないか見張るのだそうである。例年なら試験問題の束の上で麻雀をするのだそうであるが今年は多分やらんだろうというような話を誰かがしていた。

 わたしはこの日に校長に辞職を申し出るつもりであったが、どうしても勇気が出ないのでそのまま下宿に戻って「鬼太郎」をぼんやり見ながら決心を固めようとした。決心して明日こそは申し出ようと思った。冬の日はすでに暮れてあたりは暗くなっているのにまだ決心ができない。決心はできているんだが実行する決心がない。決心をするためわたしは下宿を飛び出しかなりな時間をかけてさる大きな神社の参道にある占い屋に出かけた。予想通り暖簾は外されていたが大声で呼んで開けてもらって小さな部屋の粗末な椅子に座らせてもらうことができた。部屋の左右の壁には大きな顔の絵と手の絵が白い布に描かれて、その顔や手の線に何やら威厳のある有難そうな名前が漢字で記入されている。

 初老のセーターを着た小柄な特に口髭とかもないごく普通の男のヒトが入ってきて、わたしが何か言いだすのを制してまず手相を拝見とか言って、ずいぶんな時間をかけて手相をじろじろ見てその次に人相だろうわたしの顔をじろじろ見た。べつに痛くも痒くもないが変な気分である。それからやっと私の訴えを聞く。そのあと筮竹と算木を取り出してジャラジャラやって、全部端から端まで漢字で書かれた大きな本を紐解いて長いこと考えなさった。

 そして重々しく言うことはこうである。

「すすむも退くも大変な苦労がある。しかしいずれの道をとるも、将来成功が待っているぞ。」

 あほらしいとも思うが、わたしはこれで辞める決心を実行する気持ちがやっと固まった。ちなみにわたしはこの時に出た卦を覚えておいて下宿に帰ってその卦辞を読んだが、そんなことは書いていない。知らないと思っていい加減なことを喋るおっさんである。しかし役立ったと言えば役立ったのである。

 決心と実行の間にはどうしてもためらいがある。そのためらいを埋めるものが占いである。これが西洋東洋ともに流行る理由がわかった気がする。理性を強調する宗教はこれを嫌って抑圧したようである。ちょうど仏さんのお近くで鎧兜に身を固めたなんとか天というちょっと勇ましいのが踏みつけている天邪鬼みたいに抑圧したと考えられる。天邪鬼は実は占いなど宗教にとって非合理を表している。宗教の本道から外れたもの一切を表している。しかし、天邪鬼は千年以上ああやって踏みつけられていてもまだ元気に生きているじゃないか。人が決心のあと実行をするときのためらいを埋めるものはいまでもどうしても必要なのである。ヒトは合理性だけで生きていけないのである。

 わたしは、やっと決心できた。心は本当にハレバレである。両親には言わないで後で言うことにする。



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