本の感想

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小説 新坊ちゃん① 高校生の頃

2023-06-27 15:04:52 | 小説

小説 新坊ちゃん① 高校生の頃

 高校生の頃私は将棋が強かった。紙で拵えた将棋でクラスの大抵のと勝負して負けたことがなかったが一人だけどうしても勝てないのが居た。話に聞くところでは先祖代々暦の製作にかかわっていた人材を輩出したお家とかであった。暦の製作が将棋とは関係あるようにも思わないが彼にはとにかくよく負けた。勝ったことは一度あるきりである。勉強はいい加減にやっていたが数学だけは得意だった。しかしこの将棋の強いのは、私より数学がよくできた。この男はその後どこかの大学の教授になったらしい。

 父親は何も言わない人だったが、母親は私を医者にすることを望んでことあるごとに医学部へ行けと言っていた。しかし国公立しか授業料は出さないという。近所のだれだれは医学部へ行く決心をしたそうだ、お前も決心をせよとかの話をご飯を食べながらしていた。私は血を見るのは大嫌いであったのでなるつもりはなかったが、行かないと言うと次の日からご飯のおかずが減るのは確実であったのでいい加減に答えをごまかしておいた。母親は立派に世の中の役に立つ人間に育てようというのではない、単に儲かる業界だからという気持であった。その子供の私は親のそういう気持ちに反発してという心掛けではない、単に血を見るのが嫌なだけであった。

 そんなわけで大学進学の時は本当に揉めた。本当は文系へ行って経済学部くらいでお気楽な大学生活を送りたかったのだが、当時の私の友人はこぞってお前は営業とか一切できないから理系に行けと勧める。それでうかうかと高校の三年の時理系へ行ったのが間違いの始まりであった。私は多くのヒトの言うとおりにして碌なことがないことを人生の最初の方で学習してしまった。理系の中でも工学部は面倒くさそうでやる気が起きなかった。数学はまあ得意であったので軽い気持ちで数学でもやるかと思ったのがすべての失敗の始まりである。

 西洋の格言に「ノンシャラスはいけない」というのがあるらしい。ノンシャラスとは気にしないの意味で、わたしはあんまりにもノンシャラスに自分の人生を考えてしまった。わたしには実は数学の才能は無かった。


小説 新坊ちゃん

2023-06-27 15:02:49 | 小説

小説 新坊ちゃん 

まずこのお話は全部フィクションであることを特にお断りしておく。

たとえよく似た人物が居たとしてもそれは偶然である。わたしは拙文を書いている間どういう訳か胸中大変爽快であった。

 

序章 よっちゃんのこと

 私が小学2年の頃二軒隣りの大きな家によっちゃんと呼ばれていた男のヒトが住んでいた。佳三と書くらしいがだれもよしぞうとは呼ばなかった。小さい子供ではない、私の父親と同じくらいの歳で子供はいなかった。いつもぶらぶらしていて仕事はしていなささそうだった。

 ある寒い冬の日の朝のことである。学校に行くために家を出ると、よっちゃんの家の前の道路に茶色地に黒の縦縞の入った布団ひとかさねと白地に紺の縦縞の湯飲みひとつが放り出されていた。布団が土の上にあるのであるから汚れて勿体ないなと思いながら登校したのでよく覚えている。

 お昼過ぎに帰宅した時には、布団も湯飲みもなかった。母親にあの布団勿体ないなと言うと、母親はいつもは怖い顔しているのにこの日だけはにやにやしながら

「オマエも遊んでばっかりいたらアないなことになるねんで。」

とだけ言った。

アないなことの意味は分からなかったが、ここを追及するとまたいらざる母親のお怒りを誘発しそうであるから黙っておいた。しかし近所の遊び仲間に聞くと、よっちゃんは婿養子であったがあんまり遊び歩いたために離縁になったという話であった。たしかにその後よっちゃんの顔は見たことないし表札からもいつの間にか佳三の名前は消えていた。

わたしは小さいころから勤労精神のない人間で、それまでよっちゃんのようにぶらぶらした生活を送りたいと考えていたのであるが、この事件でわたしの人生観はかなりの変更を被った。

その後いつのことであったか、何かの折に母親がひどく腹を立ててわたしの布団を玄関から放り出しそうになった時は本当に怖かった。この時はとなりのおばさんがとりなしてくれたので、放り出されなくて済んだ。そんなわけでおばさんには今でも感謝している。同時に母親のように気性の激しい人はどうも苦手になった。


「違和感」の日本史 (本郷和人著 産経セレクト)

2023-06-27 14:45:21 | 日記

「違和感」の日本史 (本郷和人著 産経セレクト)

 どうも産経の本は、編集者の意志は本の中に反映させない方針のようで著者が自由に書いたものがそのまま本になった風情である。ちょうど新聞の夕刊に載った随筆がそのまま本になっているようなもんである。自由にお書きになっただけあって著者の蘊蓄を発揮するのにちょうどいい具合になっている。他の本郷さんの本だと何某と何某の権力闘争はどんな風であったかを著述し、読者は書いてあることから自分が今身を置いている社会の闘争の帰趨を予測するときの参考にすることができる。(自分のことに引き付けて読むことができる。これはなかなか役に立つことがある。)しかしこの本はギネスブックを読むようなものである。なぜある時代の天皇の名前には「光」の字が多用されるのかといった面白いけどその場限りの話題が陸続と出てくる。これはこれで面白いが頭に残らない。

 さて自由にお書きになると、日本史に関係ないけどアレっと思うような記述に出会う。そんなこと書かなくていいように思うけどどうも学者は収入が少ないそうである。なるのが難しくてなったところで収入が少ないとなるとだれもなり手がいなくなる。そうなると日本の文化の質が低下する。文化も大事な国力であることをもっと知ってもらわねばならないだろう。国を守るのは何も目に見えるものだけではない。

 そこで思い出した。わたしの小さいころの友人の父君に高名な(今でもその著作が売られている)日本史の学者がいる。その友人宅へ遊びによく行ったが、大きな家の一番奥の広い庭の端に小さなトタン葺きの納屋があってその納屋が書斎であった。あれでは夏の暑さ冬の寒さは耐えられないであろう。ある日、夫人が昼ご飯をお盆に載せて運んでいくのを見かけたことがある。麦飯の丼に卵が一個かけられている、それだけで他何もない。学者は暇そうでいいなと思っていたが、そんなことはない。学者は昔から(小泉改革の前から)かなり過酷な仕事であった。と断言してはいけない。かなり過酷な環境の中で大変な成果をあげた方もおられるようだと言わねばいけない。

 もう少し学者を大事にしたらどうか。が読後の感想である。