今日も天気が良く、秋を訪ねてバイクツーリングの誘惑に駆られて出かけることにします。
私は何度か明日香村へ行くうちに飛鳥時代の歴史に興味が湧いてきたのですが、井上靖の小説『額田女王』を読んで、天智・天武両天皇から愛される美しき宮廷歌人『額田女王』を描いている時代背景の中で近江宮が謎でした。
そこで、この時代背景を読み解くための近江宮歴史探訪をしようと思います。
《「近江宮」に関係するネット調べ》
大化の改新の時期の皇室の系図を掲載しました。
『額田女王』の人間関係や、天智天皇の長子の大友皇子に対し、弟の大海人皇子が起こす壬申の乱までの5年間しか存在しなかった近江宮の理解に参照ください。
★近江神宮の案内⇒境内図と境内各所の案内 →Copyright © 近江神宮. All Rights Reserved.
★近江神宮⇒大津市に鎮座する神社で、1940年(昭和15年)に創祀 →Wikipedia《近江神宮》
★壬申の乱⇒天智天皇の子の大友皇子に対し、大海人皇子が反旗をひるがえした内乱 →Wikipedia《壬申の乱》
《「額田女王」に関係するネット調べ》
★額田女王(ぬかたのおおきみ)⇒井上靖の歴史小説 →Wikipedia《額田女王》
★額田王(ぬかたのきみ)⇒飛鳥時代の日本の皇族・歌人。天武天皇との間で十市皇女を生む →Wikipedia《額田王》
出発(10月24日[土曜] AM10時:51分)
天智天皇の都、近江大津宮へ向けて出発。
出発ODOは20206 、絶好のツーリング日和です。
近畿自動車道→名神高速道の京都東ICで161号西大津バイパスへ、南志賀ランプで降り県道30号を400mほど大津市街方向へ…。
近江神宮の参道前へ到着。
一の鳥居をくぐると表参道が続きます駐車場へは参道の左側にある道を行きます。
参道をまっすぐ進むと二の鳥居が見えてきます。
この参道はバイクが走れません。
参道の左側にある自動車用の道を通り、駐車場へバイクを停めた後で参道を歩きました。
二の鳥居の階段下
一の鳥居から100mぐらい歩いた地点
二の鳥居を抜けて右に寄った位置が正門階段
階段の上に朱塗りの楼門があります。
階段登り口の左側にある手水舎の隣に、近江神宮の由緒書きの札が掲げてあります。
ちょうど七五三詣での時期で、多くの着飾った子供連れ参拝者がいました。
近江神宮の由緒書きです。
天智称制6年(667年)都を奈良の飛鳥から近江大津宮へ遷都、その後、わが国憲法の源をなす「近江令」を制定、学校制度を創始、戸籍の制定(庚午年籍)、土地制度の改革(班田収授)、等々・・・・判読しづらい。
正門階段下へ歩いて来る途中の左側に12基ほどの石碑があり、歌が詠まれています。
その中で2基だけを写真を撮ったので掲載します。
春日真木子歌碑
『人間の智恵のはじめよひそひそと秘色の水に刻まあたらし』
高市黒人歌碑
『楽浪乃国都美神乃浦佐備而荒有京見者悲毛』
さざなみのくにつみかみのうらさびてあれたるみやこみればかなしも
「歴史的風土特別保存地区」の看板
駐車場の横にあった看板です。むやみに足を踏み入れるな…という注意
楼門を入ると本殿前の外拝殿です。
結婚式もあったようで、写真屋さんが楼門をバックに参列者一同の記念写真を撮ってました。
その人たちを避けて、本殿をパチリ。
本殿側から楼門をパチリ。
七五三詣でが多い
本殿側から見て右側に時計館と宝物館があり、その隣には・・・何やら日時計や水時計などが…
天智天皇の10年(671年)4月25日、漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事にもとづき、太陽歴に換算して6月10日を「時の記念日」に定められたとのこと
天智天皇御創始の漏刻
天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われている。
漏刻とは?…水時計です。
昭和39年オメガ社日本総代理店奉納
四段の水槽の上段から順に水が溜り、最下段の水槽に浮かべた矢が浮き上がって時刻を知らせる仕組み
火時計、古代中国で使われたと伝えられる。
昭和54年ロレックス社奉納
金属の錘を吊り下げている糸を線香が燃えることによって焼き切り、錘が落下してドラが鳴り時を告げる仕組み
大津神社への車両出入り口前の「大津京シンボル緑地」とする駐車場がありました。
「大津京シンボル緑地」…となっているが、駐車場の中に万葉集の歌を刻んだ石碑が置かれている。
額田の女王の歌が…
ピンボケ写真(^^;) 横の歌碑は撮れてた。
『君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く』
藤原鎌足の歌も…
『我はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり』
「大津京シンボル緑地」にあった大津宮の復元模型の図…
そのまま南へ歩いて
現在地から南側に大津宮が在ったんだ…
住宅地の一角に史跡近江大津宮錦織遺跡の杭標識が…
説明立札が奥にあった。
奥の説明立札
説明立札の航空写真部分です。
近江神宮を赤色で囲った。
説明立札の説明部分です。
この遺跡の角を左へ30mほどで近江神社前駅です。
踏切を越えて…近江神社前駅の入口
駅の入り口側
駅の反対側(線路の側)に案内板が…
他にも遺跡がある…すぐ近くなので行ってみよう。
線路沿いの場所・・・ここが遺跡とのことだが?
周囲は住宅地で…標識と説明立札があるだけの空き地状態です。
「史跡近江大津宮錦織遺跡」の標識
説明板 「近江大津宮錦織遺跡第四地点」
埋め戻したのか、説明の遺跡らしきものは見当たらない。
南西の山手側へ歩くと、皇子山古墳公園の道標が…200m先に古墳があるようです。
天智天皇の古墳だろうか…案内道標の方向へ歩いてみた。
また案内道標があった。
住宅地の坂道を上る…
少し登ると…バイパス道路への接続道路からに小高い山が見えた。
道路の向こう側
もしかして…あれが古墳なのか? これより先は自動車専用道路みたいなので行くのを止めて引き返した。
天智天皇の没後、太子の大友皇子に対して、弟の大海人皇子が地方豪族と結び反乱を起こして大海人皇子が政権を取る。
その後、大海人皇子は飛鳥へ都を移したので、近江宮は5年間の短い期間でその存在を終わることになったそうです。
近江宮を訪ねる旅はこの辺で終わることにします。
さて、まだ時間があるし、どこかバイクツーリングしたい…
比叡山ドライブウエイを走ろうかな…でも、いかにも観光地らしい場所なので…思い直し、秋を探索することにして北の方向へ朽木村を目指すことにした。
国道161から琵琶湖大橋につながる国道477号を西へ、国道367号を北上して高島市朽木の道の駅「朽木本陣」へ到着!
道の駅の裏を流れているのは安曇川で、琵琶湖へ流れている川です。
安曇川に沿って県道23号を琵琶湖方向へ走ります。
途中、橋の上から日が傾いてきた夕日で輝いている上流を逆光でパチリ
琵琶湖へ出ると、後は国道161号を名神高速道の京都東ICへ向けてひた走ります。
琵琶湖の西岸の白鬚神社前で一時停車、ここでも七五三詣り・・・
道路の反対側は琵琶湖
湖面に浮かぶ鳥居があります。
湖面には魚釣りか…小舟が一艘浮かんでました。
名神高速の京都東ICからそのまま帰路です。
帰着しました (PM5時:15分)
ODOメータは20432
今回の走行距離は226km、好天に恵まれ、歴史探訪に加えて、山間道路・湖岸道路を心地良く走ったバイクツーリングでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。