いい爺ライダー旅日記

人生再出発!人生の第二ステージに乗り出した爺のバイク旅を紹介します。

いい爺ライダー 近江宮殿を訪ねる

2015年10月30日 | 歴史を訪ねてバイク旅

今日も天気が良く、秋を訪ねてバイクツーリングの誘惑に駆られて出かけることにします。

私は何度か明日香村へ行くうちに飛鳥時代の歴史に興味が湧いてきたのですが、井上靖の小説『額田女王』を読んで、天智・天武両天皇から愛される美しき宮廷歌人『額田女王』を描いている時代背景の中で近江宮が謎でした。
そこで、この時代背景を読み解くための近江宮歴史探訪をしようと思います。 


《「近江宮」に関係するネット調べ》

大化の改新の時期の皇室の系図を掲載しました。
『額田女王』の人間関係や、天智天皇の長子の大友皇子に対し、弟の大海人皇子が起こす壬申の乱までの5年間しか存在しなかった近江宮の理解に参照ください。

 

★近江神宮の案内⇒境内図と境内各所の案内 →Copyright © 近江神宮. All Rights Reserved.
★近江神宮⇒大津市に鎮座する神社で、1940年(昭和15年)に創祀 →Wikipedia《近江神宮》
★壬申の乱⇒天智天皇の子の大友皇子に対し、大海人皇子が反旗をひるがえした内乱 →Wikipedia《壬申の乱》

《「額田女王」に関係するネット調べ》 

★額田女王(ぬかたのおおきみ)⇒井上靖の歴史小説 →Wikipedia《額田女王》
★額田王(ぬかたのきみ)⇒飛鳥時代の日本の皇族・歌人。天武天皇との間で十市皇女を生む →Wikipedia《額田王》


 出発(10月24日[土曜] AM10時:51分) 

天智天皇の都、近江大津宮へ向けて出発。
 
出発ODOは20206 、絶好のツーリング日和です。


近畿自動車道→名神高速道の京都東ICで161号西大津バイパスへ、南志賀ランプで降り県道30号を400mほど大津市街方向へ…。
近江神宮の参道前へ到着。
 
一の鳥居をくぐると表参道が続きます駐車場へは参道の左側にある道を行きます。


参道をまっすぐ進むと二の鳥居が見えてきます。
 この参道はバイクが走れません。
参道の左側にある自動車用の道を通り、駐車場へバイクを停めた後で参道を歩きました。


二の鳥居の階段下
 
一の鳥居から100mぐらい歩いた地点


二の鳥居を抜けて右に寄った位置が正門階段
 
階段の上に朱塗りの楼門があります。


階段登り口の左側にある手水舎の隣に、近江神宮の由緒書きの札が掲げてあります。
 
ちょうど七五三詣での時期で、多くの着飾った子供連れ参拝者がいました。


近江神宮の由緒書きです。
 
天智称制6年(667年)都を奈良の飛鳥から近江大津宮へ遷都、その後、わが国憲法の源をなす「近江令」を制定、学校制度を創始、戸籍の制定(庚午年籍)、土地制度の改革(班田収授)、等々・・・・判読しづらい。


正門階段下へ歩いて来る途中の左側に12基ほどの石碑があり、歌が詠まれています。
その中で2基だけを写真を撮ったので掲載します。

春日真木子歌碑
  
『人間の智恵のはじめよひそひそと秘色の水に刻まあたらし』


高市黒人歌碑
  
『楽浪乃国都美神乃浦佐備而荒有京見者悲毛』
さざなみのくにつみかみのうらさびてあれたるみやこみればかなしも


「歴史的風土特別保存地区」の看板
 
駐車場の横にあった看板です。むやみに足を踏み入れるな…という注意


楼門を入ると本殿前の外拝殿です。
 

結婚式もあったようで、写真屋さんが楼門をバックに参列者一同の記念写真を撮ってました。
その人たちを避けて、本殿をパチリ。


本殿側から楼門をパチリ。
 
七五三詣でが多い


本殿側から見て右側に時計館と宝物館があり、その隣には・・・何やら日時計や水時計などが…
 
天智天皇の10年(671年)4月25日、漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事にもとづき、太陽歴に換算して6月10日を「時の記念日」に定められたとのこと


天智天皇御創始の漏刻
 
天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われている。


漏刻とは?…水時計です。
 昭和39年オメガ社日本総代理店奉納
四段の水槽の上段から順に水が溜り、最下段の水槽に浮かべた矢が浮き上がって時刻を知らせる仕組み


火時計、古代中国で使われたと伝えられる。
 昭和54年ロレックス社奉納
金属の錘を吊り下げている糸を線香が燃えることによって焼き切り、錘が落下してドラが鳴り時を告げる仕組み


大津神社への車両出入り口前の「大津京シンボル緑地」とする駐車場がありました。
 
「大津京シンボル緑地」…となっているが、駐車場の中に万葉集の歌を刻んだ石碑が置かれている。


額田の女王の歌が…
  
ピンボケ写真(^^;) 横の歌碑は撮れてた。
『君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く』


藤原鎌足の歌も…
 
『我はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり』


「大津京シンボル緑地」にあった大津宮の復元模型の図…
 そのまま南へ歩いて
現在地から南側に大津宮が在ったんだ…


住宅地の一角に史跡近江大津宮錦織遺跡の杭標識が…
 
説明立札が奥にあった。


奥の説明立札
 


説明立札の航空写真部分です。
 近江神宮を赤色で囲った。 


説明立札の説明部分です。
 この遺跡の角を左へ30mほどで近江神社前駅です。


踏切を越えて…近江神社前駅の入口
 
駅の入り口側


駅の反対側(線路の側)に案内板が…
 
他にも遺跡がある…すぐ近くなので行ってみよう。 


線路沿いの場所・・・ここが遺跡とのことだが?
 
周囲は住宅地で…標識と説明立札があるだけの空き地状態です。


「史跡近江大津宮錦織遺跡」の標識
 


説明板 「近江大津宮錦織遺跡第四地点」
 
埋め戻したのか、説明の遺跡らしきものは見当たらない。


南西の山手側へ歩くと、皇子山古墳公園の道標が…200m先に古墳があるようです。
 
天智天皇の古墳だろうか…案内道標の方向へ歩いてみた。


また案内道標があった。
 
住宅地の坂道を上る…


少し登ると…バイパス道路への接続道路からに小高い山が見えた。
 道路の向こう側
もしかして…あれが古墳なのか? これより先は自動車専用道路みたいなので行くのを止めて引き返した。


天智天皇の没後、太子の大友皇子に対して、弟の大海人皇子が地方豪族と結び反乱を起こして大海人皇子が政権を取る。
その後、大海人皇子は飛鳥へ都を移したので、近江宮は5年間の短い期間でその存在を終わることになったそうです。

 

近江宮を訪ねる旅はこの辺で終わることにします。 

 

さて、まだ時間があるし、どこかバイクツーリングしたい…
比叡山ドライブウエイを走ろうかな…でも、いかにも観光地らしい場所なので…思い直し、秋を探索することにして北の方向へ朽木村を目指すことにした。


国道161から琵琶湖大橋につながる国道477号を西へ、国道367号を北上して高島市朽木の道の駅「朽木本陣」へ到着!
 
道の駅の裏を流れているのは安曇川で、琵琶湖へ流れている川です。


安曇川に沿って県道23号を琵琶湖方向へ走ります。
途中、橋の上から日が傾いてきた夕日で輝いている上流を逆光でパチリ
 


琵琶湖へ出ると、後は国道161号を名神高速道の京都東ICへ向けてひた走ります。
琵琶湖の西岸の白鬚神社前で一時停車、ここでも七五三詣り・・・
 道路の反対側は琵琶湖


湖面に浮かぶ鳥居があります。
 
湖面には魚釣りか…小舟が一艘浮かんでました。 


名神高速の京都東ICからそのまま帰路です。

 

 帰着しました (PM5時:15分)

 ODOメータは20432
今回の走行距離は226km、好天に恵まれ、歴史探訪に加えて、山間道路・湖岸道路を心地良く走ったバイクツーリングでした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。



いい爺ライダー 唐招提寺へ行く

2015年10月17日 | 歴史を訪ねてバイク旅

今日は天気が良くて、家にジッとしてられずに、ちょっと出かけよう…と鑑真和上ゆかりの奈良唐招提寺へバイクで出かけました。
最近、険悪になってきた日中関係ですが、1200年前に唐の国から命を賭して大和の国へ渡航してきた鑑真和上を訪ねるのも良いのでは…と思います。


《「唐招提寺」に関してネット調べ》

唐招提寺の創建は759年。
今から約1250年も昔のお寺で、1998年にユネスコより世界遺産に登録された古都奈良の文化財です。

★唐招提寺⇒奈良市五条町にある鑑真が建立した律宗の総本山 →Wikipedia《唐招提寺》

★鑑真和上⇒五度の渡航失敗で盲目の身となりながらも、六度目で渡航を果たす →Wikipedia《鑑真》

★唐招提寺⇒TBS唐招提寺2010プロジェクト →Tokyo Broadcasting System Television, Inc.

★鑑真大和上⇒5回の渡航を試みて失敗、・・・6回目に日本の地 →Toshodaiji. All Rights Reserved.


 出発(10月14日[水曜] PM1時:15分) 

 

唐招提寺へ到着しました。
 左側が駐車場 
早速、唐招提寺前の駐車場にバイクを停める。


受付は画面の左の階段を上がった南大門です。
 右側は社務所 
拝観料600円でした。


南大門を入ると正面に見えるのが金堂
 
本尊を安置する大きな金堂


ユネスコ世界遺産登録の記念石碑
 
1998年、鑑真の唐招提寺は世界遺産に認定された


案内図を見て…左回りに行くことにする。
 
境内の案内図


校倉造りの宝物殿が2棟並んでる。
 
右が経蔵、左が宝蔵


宝蔵を北西の方向から撮影したものです。
 
高床式のログハウスと同じ構造で、湿気を防ぎ、適度に通気性があるんだろう。


開山堂
 
鑑真大和上のお姿を写した像が安置されています。


「御身代わり像」ですが、毎日参拝できます。

国宝の和上像は例年、6月5、6、7 の三日間しか開扉していない。


北側より鼓楼の方角を見る。
 
正面に鼓楼が、左側は東室と礼堂、右側が講堂です。


北原白秋の歌碑
 

盲ひはててなほし柔らとます目見に聖なにをか宿したまひし
唐寺の日なかの照りに物思はず勢ひし夏は眼も清みにけり・・・と詠じている。


戒壇堂
 
受戒のための最も神聖な場所


唐招提寺の見学を終えて、帰るにはまだ早すぎる…そこで、唐招提寺の裏手へ行ってみました。
近鉄電車橿原線を越えて、北へ線路沿いに500mほど走ると池の中に小丘が浮かんでいるような景色が…
 
垂仁天皇(すいにんてんのう)の御陵


古墳の周囲が水に囲まれていて、そこには何匹もの亀さんがのんびりと浮かんでました。
 
前方後円墳、全長227m


管理された綺麗な御陵ですが、誰もいません。
 
陵(みささぎ)・霊廟


田んぼや畑の向こうに見える森が唐招提寺のある場所。
 
畔にはコスモスの花が咲き、稲刈りをしてる…のどかな風景です。


近鉄電車が…
 
秋晴れの明るくのどかな風景と電車が良く似合ってる…思わずパチリ


 

 帰着しました (PM4時:35分)

 

今回はちょっと走っただけで、バイク旅行と言うほどのものではなかったですね。
ですが…これからは気軽にバイクを駆って行く日常的な事柄であっても気ままに掲載していこうかなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



いい爺ライダー 竹ノ内街道を走る

2015年10月08日 | 歴史を訪ねてバイク旅

平成15年10月3日(日曜)、今日は久しぶりの晴天です。
気軽なバイクツーリングを…と考え、かねてより一度行ってみたかった歴史国道「竹ノ内街道」を目指して走ることにした。


《以下、「竹ノ内街道」についてネット調べ》

★竹内街道⇒二上山の南麓・竹内峠を越えて奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26kmの街道 →Wikipedia《竹内街道》

★歴史国道⇒ 歴史上重要な幹線道路として利用され、歴史的・文化的価値を有する道路として国が選定した→Wikipedia《歴史国道》 


 出発(10月3日[日曜] AM10時:06分) 

 
出発時のODOメータは19739Km、太子町を目指します。


出発点から道の駅「近つ飛鳥の里・太子」までの走路を示す。

①内環状線(R479)の深江橋で左折
②阪神高速13号東大阪線を外環状線(R170)へ出て一気に南へ走行
③羽曳野市に入り、南阪奈道路下の交差点で左折
④約1kmで橋を渡って右折、府道27号を南へ
⑤約2km走り、太子交差点で左折して太子町の古い町並みを道なりに進む
⑥三叉路(六枚橋)の突き当たりが国道166号なのでそこを右折(現在では国道166号が竹ノ内街道)
   そのまま国道166号を走ると道路の左側に道の駅「近つ飛鳥の里・太子」へ到着

 
道の駅「近つ飛鳥の里・太子」でパンとお茶を買った。途中、適当な場所で昼飯としよう。
再びバイクに跨り葛城市方向へ向かう…


道の駅から古都飛鳥方面への走路。とりあえず当麻寺に向けて進む。
 


撮影ポイント(A)竹ノ内峠、ここは国道166号線上の大阪府と奈良県の県境です。
 竹ノ内街道入口
竹ノ内街道入口の看板はハイキングコースの案内 
 道路の向かい側
こちら側にも竹ノ内街道の看板が…散策道が続いています。

 展望台が…
ここから望めるのは飛鳥京の方角ですが、木立に遮られてあまり展望がよくない。 
 階段が続いてる
階段を下ると道路左側の入口から国道をくぐり抜けた道と合流しています。
 大阪側に休憩所
ここで昼食を…と思ったが、ハイキングの人達がいたので止めた。
 
ここに関所があったのかな… 聖徳太子もこの峠を越えてたんだなぁ
 
太古から四天王寺と飛鳥を結ぶ交通の要所であり、
遣隋使などの使節もこの峠を越えて飛鳥京を訪れた。


撮影ポイント(B)史跡の丘の前にバイクを停める。
 
三叉路の曲がり口に炭焼き工房があったが、人影が無いので外から覗いただけ。
  
史跡の丘への登り口階段の前にバイクを停めた。
 この登り口…草ぼうぼうで気味が悪い
階段を登る途中で…あっ「蛇だ!!!」
 良く見ると大きなナメクジだった。(長さ約20cm)
下の道路面から高さ約10mぐらいで階段を登り切ると…草が生い茂っていてこれ以上入れない~
 登り切った場所
誰一人来ない場所の様子ですが、ここは古墳の頂上近くらしい。


撮影ポイント(C)さっき登った古墳の裏側にため池があり、その畔に芭蕉の碑がある。
 
芭蕉が当麻寺へ…こんなところにも芭蕉の足跡があるんだ…
 
池の畔の芭蕉の碑の近くにベンチがあり、桜の木が植わっています。
桜の木の隣のベンチで昼食にしよう。
 池を背中にベンチが
バイクの左横の山は古墳ですが、静かな場所で落ち着きます。
 
バイクを停めた道路の奥にちょっとした広場があり、その先から古墳に登れそうな感じ…。
池の畔で古墳を眺めながらパンとお茶の昼食でした。


昼食を済ませて…、さて、もう一度道の駅まで走ろう。
今度はできるだけ古い街道や街並みを辿りながらのバイク走行をすることにする。
 走路図です。


撮影ポイント(D)芭蕉の小径から橿原市街の方向
ここからは全く展望がありません。
 
左下へ下って先っき走った国道へ出ると、今度は旧街道へ…。


ポイント(E)歴史国道「竹ノ内街道」 ここから国道に沿って古い家並みの道です。

 
  
この道は500m程で国道と合流し、家並みも途切れてしまいました。


撮影ポイント(F)国道と合流して400~500m走ると、また古街道との分岐点があった。
 
今度は国道下の旧道へ入ることにしたが、この道はスギ・ヒノキなどに囲まれた山道です。
途中、ハイキングの3人連れと出会いました。


撮影ポイント(G)山道を走り抜けると竹ノ内峠の国道上へ出た。
 
国道下に三叉路、前方は階段なので左折して国道下をくぐり抜けると…前をガードレールで塞がれてる。
ガードレールの隙間を抜けて出たが…この道はバイク走行OKだったの?。でも、走行禁止表示は無かった。


撮影ポイント(H)竹ノ内峠を大阪側へ50mぐらい下った地点です。
国道と並行に旧道がありますが、
この道は歩行者専用でバイクは走行禁止でした。
 
国道脇にバイクを停めてパチリ
 
大阪方向への下りを後ろからパチリ
 
竹ノ内街道の説明碑です。


撮影ポイント(I) 二上山・万葉の森のハイキング路の入口
 
「万葉朝がゆ会」なんてのがあるんだ、早朝からハイキング愛好家が集まるんだろうな
 
石造りの「二上山・万葉の森」モニュメント
 
 
3方向へのスタート地点かな
 
 
この後はさらに国道を下って道の駅へ…


撮影ポイント(J)再度の道の駅
道の駅の裏に川があり、その橋のたもとに竹内街道歴史資料館の案内板
橋を渡ればその先が竹ノ内街道ですが・・・この橋はバイクで渡れない。
 
橋を歩いて渡ると右側へちょっと歩いた位置に道案内板があった。
バイクでこの道へ入るにはどうすれば・・・?
 
どうやら、バイクで竹ノ内街道へ入るためには国道へ出て旧街道の入口から入るようです。


道の駅で一休み…今度も古い街道や街並みを辿りながらのバイク走行で行こう。
 走路図です。
道の駅から一旦国道へ出て、旧街道の家並みに沿ってバイクで走りました。
竹ノ内街道の走路を緑色の線で示しています。赤色の点線は帰りの走行路です。


撮影ポイント(K)古代の街道「歴史国道」をバイクで走る。
 


 撮影ポイント(L)太子町立竹内街道歴史資料館
 
入館料200円で資料館へ入る。
アニメーション動画で飛鳥時代の街道の様子を分かり易く展示していたのが、楽しくて良かったです。
子供達が古代の日本の歴史を学ぶのにとても良さそうです。

 バイクの走路
歴史資料館でいただいた資料からスキャンしてバイクの走路を書き加えてみました。
このイラストの方が見どころと併せて見れて判りやすいですね。


撮影ポイント(M)竹内街道の提灯や灯篭が街路沿いにある。ここは羽曳野市。
 
左折すれば国道166号線、ここで私は川沿いに真っすぐ行ってしまい道に迷いましたが、
なんとか国道25号線へ出て無事に帰りました。
 


 

 帰着しました (PM4時:15分)

 
ODOメーターは19820km
  全走行距離81kmの日帰りツーリングでした。

 

今回のバイク旅も古代の歴史を巡る『歴史探検バイク旅』となりました。
歴史をたどりバイクを駆ける…これからも楽しんでいきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。