ロシア精神の源―よみがえる「聖なるロシア」 (中公新書) 高橋 保行 中央公論社 このアイテムの詳細を見る |
1989年12月10日印刷 1989年12月20日発行
著者は高橋保行。1948年東京生まれ。1972年NY聖ウラジミル神学大学院卒。1974年日本ハリスト正教会司祭に叙聖される。
著者が正教会司祭であることに注意。
ロシアの精神は東ローマ帝国(ビザンチン帝国)から影響を受けた正教会にあると説く本。
以下メモ
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6世紀頃、キエフを中心にスラブ人が住む。8世紀初、ヴァイキングが南下。「ヴァリアグ」=同士と呼ぶ。ヴァリアグはヴォルガ河を南下、カスピ海からバグダッドに至り交易をしていたが、キエフ経由のコンスタンチノープルを相手とした交易はバグダッドに向かうより道程が短く理想的だった。ヴァリアグはそのうちスラブ人の間に住みつくようになる。これがロシアの下地となる。ロシア人の出来上がり。
キエフ+ヴァリアグ=ロシア(キエフ朝ロシア)
モレビア公国。モレビアの地はスラブ人の発祥の地。ハンガリーとチェコスロバキアのあたりにあった。そこで使われていた言葉は各地に移住していったスラブ人の標準語である。
キリルとメソディウスがスラブ語表記のためにキリル文字を発明。モレビア人のためにつくった文字だが、スラブ民族全体にとって恵みとなった。キリル文字はラテン文学とならんでビザンチン帝国文化圏の中にあった国々に健在。
ロシアの聖堂の形がイスラム寺院の影響を受けているというのは間違い。イスラムは発生するとすぐにアラビア半島を北上し、ビザンチン帝国の領土に広がり、中東から北アフリカ地域を支配下にした。
これらの地域はキリスト教の地盤であったから、多くのキリスト教の聖堂が建っていた。アギア・ソフィア大聖堂を手本とした丸屋根聖堂がほとんど。イスラムはこれらの聖堂を自分たちの寺院として使い始めた。
イスラムの寺院が丸屋根であるのは、ビザンチン帝国の教会建築様式をそのまま借用している。ロシアの聖堂が丸屋根であるのは、イスラムの影響ではなく、ビザンチンの教会様式を導入しているためである。
ロシアはゲルマン民族の大移動、フランク王国の発生と影響、ローマ法王庁の成立、十字軍の遠征、イスラムの影響、スコラ哲学、大学教育の発生、ルネッサンスといった、ヨーロッパ形成の700年間におきた重要な出来事をひとつとして体験していない。
ロシアとヨーロッパの出会いはオスマントルコ帝国が、1453年にビザンチン帝国を落としロシアがその文化圏から独り立ちを余儀なくされたことに端を発している。
11世紀以降、ビザンチン帝国は過小評価されている。ヨーロッパは自分たちのテーゼであったビザンチン文化圏を意識的にではないにしろ歴史から抹殺しようとしている。
現代ギリシャはまぎれもなくビザンチン帝国の延長線上にあるが、表向きには古典ギリシャ文化の継承者という肩書きの方を強調している。
ローマ教会は正教会(全体)の一総主教区(一部)であった。政治的優越性を使って逆に全体が一総主教区に集約されるべきと主張し始める。
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