神戸の震災の時は7日目で出勤した。それから3ヶ月間、単身赴任状態になったけど。
日曜日だったか元町のホームセンターでバイトしている娘が帰宅して、乾電池、懐中電灯、灯油缶の類が店頭から消えたと言う。わざわざ東京から買いに来た人もいるし、関東に配送を頼む人もいるとのこと。ふーんと他人事として聞いていた。
月曜日、親会社からレンタルの発電機を20台調達してほしいとの依頼が来る。正規のルートでなかったので無理と断ったら、後でどこかで調達できたとの連絡が来る。
火曜日、単一乾電池200個調達の依頼が来る。今度は正規のルートである。コンビニを5軒ほど回ってみて娘が言っていたことに納得。単一乾電池は全く無い。大阪と阪神間の電気機器量販店、ホームセンター、文房具店に片っ端から電話するもゼロ。やっと出入りの業者から40個、近くの小さな文具店から10個調達。ネット上ではまだ販売しているところもあったが、今日の発送に間に合わないと言うことで注文は控えた。東京の事務所の社員に電話する。横浜から東京駅まで四時間かかったとのこと。停電の威力はすごい。まるで震災後の神戸のようである。あの時、一週間後だったが大阪へ出るのに六甲山を越えるルートで四、五時間かかった。電話に出た社員は納豆が店頭から消えたと嘆いていた。元気そうである。余り困ってもなさそうである。この日、岡山の弟にメールしたら、岡山では乾電池や懐中電灯が店頭から消えたことがニュースになっているそうな。ネットの書き込みを見ると九州ではこの日、乾電池や懐中電灯の入荷が止まったとのこと。本当か。今回、津波の被害は甚大だが地震で街が神戸のようになったところはあるのだろうか?津波も地震の影響だが・・・。仙台の旧市街など神戸のときと比べて何もなかったような様子に見える。ネットで仙台市でオープンした居酒屋がある、たいしたものは無いけど、という書き込みを見てますます混乱する。書いている本人は食べ物がないとかガソリンがないとか通勤が・・・とか書いているので余計である。思わず「居酒屋・・・?」「通勤・・・?」と仙台の状況を聞いてしまった。
水曜日、とうとう社長より大阪が物資の調達地として動くようにとの社命がでて、携行ガソリン缶、単一乾電池、コンロ、ボンベ、サトウのゴハン(これ一般名詞になってる?)の調達指示が来る。半端な数ではない。それも今日中である。昨日まで受け付けていたネット販売のサイトは、もうこの日は乾電池の在庫ゼロ表示。社員を動員といってもこっちも仕事がある。動ける人数は知れている。外回りの途中にコンビニにこまめに寄り、30個、50個と茹でて調理できるゴハンを買い込む。重くてアヒルのような歩き方になる。それでも数がそろわないので仕方なく社員の家族にもお願いする。徳島の実家とか岡山の実家とか、遠方でも動ける人はお願いをした。感謝。要求のあった数の半分ほどを集めたが、中継地点である中部地方に夕方までに届けるすべが無い。赤帽に頼んだら4時間かかるとのこと。タイムリミットは18時あたり。間に合わない。レンタカーで社員の家を回って調達してもらった物資を引き取っていた社員にそのまま向かってもらうことにした。社員の帰社を待って帰宅。帰宅後に仙台市街地の様子をNHKTVのニュースで見る。どう見ても物資が少ないという東京と変わらんがな。昨日のネットでの書き込みに別の人から返信あり。神戸と仙台の地震被害の差の理由は、神戸の方が狭くて人口が多い(被害大)、仙台人は地震対策が出来ていた(被害小)、津波の被害が大きい(被害大)、ということらしい。対策を強調したいらしい。だから通勤もできるし建物も無事。居酒屋も開店できる。なるほど。そうか。分かった。何が?人は皆、自分の周りの境遇を一般化するものなのだ。私もそうだ。だから津波の影響がなかった仙台市街地の人には、例えそれが他からは東京と変わらないように見えても、自分が100%被害者なのだろう。わかる。私も1週間後に通勤するために長田区を通るまではそうだった。私は被災者だと思っていた。でも少々不便な生活を強いられていただけだったのだ。他社から相対化されて見られていることに今は興奮状態で気づかない。ネットが使えて勤めに出て家も家族も無事、それでも大きな地震の被災者には変わらない。
木曜日、小康状態。東京の事務所に連絡。スーパーにもコンビニにも品物が無いとのこと。何食って生きてるんだ?と思う。大阪の事務の女子社員は何か東京に送りたいと言い出した。本当に欲しかったら向こうから言ってくるだろうからと様子見。
それにしても原発の状況が不安。あと2日で息子がアメリカから成田に着くのだが・・・。
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