先日の日曜日、久しぶりに思い立って河原邸へ行ってみた。この前ここに来たのはいつぞやのお月見会の日。もう5年はたっている。
案内板には下記の説明がある。
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河原家は、戦国時代末期に津高郡北部、上房郡東部、真庭郡南部に勢力を有した虎倉城(御津町虎倉)の城主、伊賀久隆の重臣で、鍋谷城(狩野川超鍋谷)の城主であった河原直次の弟、秀光を初代とする。
以降、秀光は、天正6年(1578年)伊賀氏滅亡後、津高郡紙工村(現、御津町紙工)に土着し、子孫は江戸時代になると、庄屋として村の取りまとめ役を務めた。
現存する母屋は、天保10年(1839年)の建築であることが明らかになった。・・・。
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この家が御津町(現、岡山市)へ寄付されたのはそう昔ではない。15年ほど前か。それまでここには持ち主の方が住まわれていた。寄付を受けた町が手を入れ現在に至る。筑後200年近く経てはいるが北側の屋根の吹き替えと外観の補修で綺麗な姿を維持している。補修にかかった費用は個人では負担しかねる金額ではあったとは思うが。間取りは表に3間+控えの間。表と裏の間に仏壇の間を置いた9間で構成。
駐車場の案内の看板を見て違和感あり。開館が日曜日だけになっている。長屋門をくぐって不安になった。ここにあった受付が閉まっている。払うはずの入館料はどこで払うのかと訝りながら見学する。
想像は付く。管理する人手がないのだと思う。日本全国どこも同じだが若者がいない。ここが町に寄付された当時も今も人は変わってはいない。変わってはいないがそれ相応に歳はとる。10年たてば65歳だった人は75歳。当時は活性化に向けて張り切ってはいたが歳をとっても世代交代できない。代わる人がいない。そういうことだと思っていた。
帰り際、庭の清掃に来られた近所の方と思しき女性と会話して事態はもっと深刻だと言うことに気付いた。町が平成の大合併で岡山市に併合された後、岡山市が管理に難を示し岡山県へ投げた。その岡山県も難を示しているということらしい。
平成26年11月19日付け岡山県の「事業再点検のフォローアップについて」という資料をネットで読むと
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事業概要:旧御津町(現岡山市)の管理運営を前提に所有者から寄付を受けた岡山市指定の重要文化財「河原邸」の庭園管理等に要する経費、及び、利活用を検討するため岡山市と共同で設置している河原邸利活用推進協議会への負担金(100千円)
対応方針(H26.1.15) :本来岡山市が管理を行うべきであることから、岡山市への管理移管に向けて、平成26年度中に岡山市と協議を行い、結論を得る。そのため、平成26年度に限り管理に係る必要最低限の予算を計上する。
検討結果等:岡山市は、ふるさと活性化アクションプラン(仮称)の中間報告をもって、河原邸の取扱いを判断するとしている。
・市が活用することになれば、市に無償貸付して管理を任せることとする。
・市が活用しないことになれば、県として活用の見込みがないことから、処分等について検討する。
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処分等について検討するそうだ。
岡山県のこれに類する事業への見直し視点は「事業実施団体の本来の業務であることや補助金額が僅少であることなどから、会員の会費等により自立して事業を行うべきもの、または、本来市町村等の業務に密接に関連する事業であり、市町村等から補助金等を求めるべきものについては、原則廃止も含めて見直すべきである。」となっている。
庭で紹介された地区の会長さんが「行政のやることは・・・」と渋い顔をされていたのも良くわかる。何か策はないものかと思案されている様子。
戸口と玄関を構える格式のある庄屋屋敷。室内外の状態も大変よく保存維持されており倒すにはもったいない。
(2014年12月7日 岡山市北区御津紙工)