投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

朝鮮日報 鮮于鉦(ソンウ・ジョン) 【コラム】郷土愛


日本は安定社会になったという。安定社会というのは多様化した変化の多い社会のことをいうそうだ。皆が同じ方向を目指すのは、それ以前の段階。このコラムに書かれていることは、日本が多様化した社会だからこそおこり得る現象なのだと思う。ということは韓国ではまだまだおこらない現象だと思うし、今の日本が近い将来の韓国だとすれば、そう遠くない時代に韓国もこういうことがおこり得るのだろうと思う。





【コラム】郷土愛(上)

 イタリア料理専門の実力派の調理師、笹森通彰さん(37)は、東京とイタリアで修業した後、7年前に故郷の青森県弘前市でイタリアン・レストランをオープンした。本州の最北端、東京からは770キロも離れている。


 笹森さんは子どものころ、故郷で祖母が作った野菜を食べて育った。弘前市は気温こそ低いものの、土の香りは豊かだという。そんな土の香りを忘れることができなかった笹森さんは今、広さ300平方メートルの畑で野菜を育て、青森県産の豚肉でハムを作っている。


 笹森さんが作るイタリア料理には、弘前のにおいがこもっている、と評されている。「この土地でしか作れない料理を作ること、これこそが本来の意味の“ごちそう”ではないか」と笹森さんはいう。笹森さんのレストラン「OSTERIA ENOTECA DA SASINO」は、今や東京からも客が来る、全国区のレストランになった。


 小山裕久さんは、日本料理界きっての有名人だ。四国・徳島の日本料理店「青柳」の3代目店主で、大阪の高級料亭「吉兆」で修業を積み、1996年には東京都心の虎ノ門にも店を出した。またこれまでに、食文化に関する本10冊余りを著した。その小山さんが2006年、徳島市内から故郷・徳島県鳴門市の鳴門海峡に面した小さな漁村に店を移転した。この店の懐石料理は、一人当たり最高で3万円もする。小山さんが徹底的にこだわったのは、鳴門で獲れるタイだった。尾頭付きの鯛を丸ごと使った「淡淡」というメニューを開発するまでに、5年の歳月をかけた。



【コラム】郷土愛(下)

 「この30年間、いつかは鳴門に帰りたい、という夢を持っていた」。小山さんは生活情報誌『自遊人』のインタビューに対し、こう答えた。故郷の食材を東京で食べさせるのではなく、東京の人たちを故郷へ呼び込むという意識転換を図ったわけだ。小山さんは故郷を、「原点に立ち返るための理想の場所」と定義付けた。


 島根県松江市は、東京から920キロ離れた小さな地方都市だ。個人的な感想を持ち出すのは気恥ずかしいが、この地にある「明島」という小さな日本料理店で、刺し身の味に感動したことがある。白身魚の刺し身を噛むときに感じたコクのある味は、東京では決して味わうことのできない、青く澄んだ深い海の味とでも言えるだろうか。店主兼調理長の岩田光明さんもまた、奈良市で日本料理人として名声を得た後、5年前に故郷の松江へ帰って店を開いた。岩田さんは「故郷の海で獲れる食材に対する愛着は、ずっと消えることがなかった」と話した。


 最近、日本では、一流の料理人たちの帰郷が小さなブームになっている。「地産地消(地域の特産品を地域内で消費する)」の一つの形態だ。だが、こうした動きは、日本人のDNAに染み付いているという「郷土愛」も背景にあると思われる。もちろん、これは調理師が選ぶ食材に限ったことではない。あちこちにある文化財、数千種類の酒を作る地域の造り酒屋、小都市の商店や路地でも、「地方の持つ価値に対する強烈な愛着を感じることができる。


 これは、地方の持つ価値をソウルに奪われた、あるいはソウルの持つ価値を地方へ広げようとしている、といったレベルの低い話ではない。幼き日に感じた土の香り、海の香りを求める原点への回帰、そしてこれを通じ、自分たちだけの価値をつくり上げていこうと模索する動きではないかと思う。


東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

http://www.chosunonline.com/news/20100222000063
http://www.chosunonline.com/news/20100222000064


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