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投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

曼珠沙華

単線の私鉄ってあるんだ。初めて乗る線で慌ただしい乗り換えだったこともあり気づかなかった。目的の無人駅に降り立ってそうじゃないのかと思い始めた。線路と並行して走る道路を歩きながら線路を見る。それでも確かめたくて渡る必要もない踏切を渡ってようやく納得した。単線だった。時刻表を見ると電車は1時間に2本。僕の実家のある田舎の鉄道並み。そういえば風景も似たり寄ったり。


 
ここにある病院に入院していると彼女は言った。遠く関東からここの病院を頼って入院したのだと。若い。とても若い。歳は二十代半ばか。僕の娘といっても良い歳頃。子供のころ見ていたテレビ番組の話をしていて年齢が想像できた。化粧っ気がなく長い入院生活で肌の色はとても白い。その肌は久しぶりの外出で夏の陽にさらされほんのり火照っているように見えた。

その日は港祭りの日だった。今頃行ってもろくな場所は空いていないだろうと思いながら花火を撮りに出かけた日。人の流れに身を任せながら行き着いた所で撮れたら撮ろうといういつも通りの態度を決めて歩いていた時に声をかけられた。時刻は午後6時を少し回っていた。

「こっちに行くと花火は見えますか。」

彼女は僕に声をかけてきた。電子タバコのスイッチを入れて40秒待っていた時だった。声をかけられた時、またかと思った。人から声をかけられやすいタイプなのだ。同僚に言わせると品行方正に見える証拠だそうだ。普通のタバコを吸っていた頃、街角で外国人からタバコをせびられた事はその同僚には言わなかった。

僕もこの花火を見に来るのは20年ぶり。花火にはセンター席とバック席があるよな、などとサッカー場を想像しながらこのまま行くと横から見るサポーター席かと2秒ほど考えた。

「たぶん。横から見ることになりますけど。」

そう答えた。

彼女は指差す方向を見てからペコリと頭を下げた。そして人の流れに沿って歩き始めた。僕も電子タバコに火が通ったので歩き始めた。今更別の場所に行く気もしない。付かず離れず彼女と歩くことになった。

用意された見物席は有料席と無料席があって、下々の者はコンクリートの埠頭に直に座る。まだ隙間はあった。彼女とは付かず離れずここまできたが、埠頭に着いた所で別れてしまった。当然といえば当然。自然な成り行き。家族連れやカップルの並ぶ隙間に一人陣取る。何か飲もうかと確保した陣地に団扇を置いて自動販売機の前に行った時に彼女がそのすみに立っているのを見つけた。声をかけるのは自然な成り行きか。かけない方が不自然か。

「誰かと待ち合わせ?」

自動販売機にコインを入れながら出来るだけ自然に声をかけた、つもりだった。

彼女はああという素ぶりで首をゆるく振った。

「あっちにまだ隙間があるよ。」

と言ってみた。缶コーヒーを掴みながら。

団扇の席に戻ろうとすると付いてくる彼女が視線に入った。ちょっと待ってと彼女に言ってもう一本缶コーヒーを買ってみた。彼女に好みを聞かなかったのは聞いたら逃げて行くかと思ったからかも。

花火の数は6500発。見ている場所が横からだから花火は縦に重なる。煙も重なってとても絵になる写真は撮れなかったけど。大きな黄金しだれ柳の花火が上がって盛大にフィナーレを迎えた。その間ほとんど彼女とは口をきかなかったような気がする。

帰りの駅に向かう途中、ポツリポツリと会話した。互いの苗字、花火を見るのはお互いに20年ぶりであること、赤い花火が気に入ったこと、そして彼女が病院に入院していること。港から北西に向かって丘陵地帯が続く。その丘陵地帯に広がる住宅地が切れたあたりにその病院はある。場所の想像はつくけど一度も行ったことがない。関東生まれの関東育ち。自分に合った治療方法を探してそれを実践している病院で自分を受け入れてくれたのがここの病院だったそうだ。今日は単独外出の日で朝から一人でぶらぶらしていたのだという。

人の波に乗りながら運河を渡りオフィス街を抜け繁華街を通り駅前に着いたところで彼女と別れた。もう午後9時が近い。病院の門限は何時なのかと思いながら。
 


彼女に電話してみようと思ったのはお盆が過ぎて9月になろうとしていたころ。今年も会わなかった娘に連絡してみようと思い立った時、なんとなく。果たしてつないでくれるのかどうか、無理ならそれでいいと思いながら病院の受付の番号を見つけた。電話すると二度転送され長い保留音を聞かされた後、女性職員が出てきた。彼女はもうその病院にいないという。退院したわけでもなかった。居なくなったのだという。単独外出から帰ってこないのだと。もう2週間になると。彼女を世話していたNPOのところにも連絡がないという。彼女は親から戸籍を抜かれ見放されNPOの支援の元、生活保護で暮らしていたことを知ったのは彼女の失踪と僕とが関係があるのではと詮索され、人の訪問を何度か受けた時だった。
 


ここに来てみようと思ったのは母からのLINEがきっかけだった。季節は秋になりかけていた。今日のあんたの運勢は「他人の相談事にのるのは凶。適当にいなせ」だとLINEで朝から伝えてきた時だった。占い、運勢、神、仏。そんなものあてになるのか。人にはどうしようもない事など数多ある。途方にくれた時、人は己の足元しか見えない。一人でがっくり膝をおり頭を抱えたことが何度あることか。他人の世話など何もできないことは分かっている。けれど思ってやることぐらいは出来るだろう。
 
赤い曼珠沙華が畦道に連なっている。
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