投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

縄文とイエとムラの風景・御所野遺跡 - 高田和徳(神泉社)

 
2005年5月10日 第1版第1刷
著者は1949年岩手県生まれ。1973年明治大学文学部地理学科卒。岩手県教育委員会文化課。1976年、一戸町教育委員会。

竪穴式住居の話。



P59 1996年11月の話。
保存状態の良い消失住居跡が見つかり全国ではじめて縄文時代の土屋根住居を確認していた。記者発表では、その成果を公表するとともに、共同調査した奈良国立文化財研究所の浅川茂男主任研究官(現在、鳥取環境大学教授)、西山和宏調査官による復元図も一緒に公開することになった。復元図は当日の昼近くにようやく届き、わたくしたち発掘関係者も取材の記者も、ほとんど同時に見ることになった。図を見て一同あ然とした。従来の茅葺きの復元住居とは似ても似つかない、ドーム式の竪穴住居がそこに描かれていた。

P60 続き
土屋根住居の発表は、大きな反響をよんだ。なかには、冬はまだしも、夏は暑くてとても住めない、とくに日本のように高温多雨の地域ではむかない、という意見が寄せられた。わたしたちも土屋根住居について情報があまりなかったこともあり、実験的に建物をつくって検証してみようということになった。実験は翌年の1997年8月にはじまった。


事前に知識を得てからこの本を読んだが、地方の専門家と中央の専門家との情報知識の格差に少し驚く。この本では「全国ではじめて縄文時代の土屋根住居を確認」となっているが、それ以前に新道4遺跡(北海道、先史~縄文)の土屋根住居跡が先だったはず。それについて情報を持っていなかったようだ。奈良国立文化財研究所側では想像だが『日本書紀』景行天皇四十年の「冬は穴に宿、夏は樔に住む」や『三国志東夷伝』は挹婁(ゆうろう)、『環海異聞』の知識はあったに違いない。きっと中央の研究者は竪穴住居は冬の建物であるという想像もしていたはず。ただ確証が得られないだけで。


(2020年9月 西宮市中央図書館)
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