投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

味噌、醤油、酒の来た道(2)

(1)からの続き

森幸一(編) 「味噌、醤油、酒の来た道」 小学館 


④韓民族の食文化         金 宅圭

この先生、肩書きは文化人類学者となっている大学教授だが、自分の足でフィールドに出て調査を行うようなタイプではなく、主に文字記録を調べるタイプなのか?と思う。陳瞬臣氏は別として、今回の講演を行った他の講師の方々が自分の調査結果を元に慎重に語るのに比べ内容がかなり雑。まるで金達寿の文章を読んでいるみたい。

以下、メモより

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二世紀~三世紀 百済では農耕用の堤防の補修工事あり
●(水の下に田)の文字 五四〇年-五七六年 昌寧巡狩碑
漁労文化は不明 賤民思想と倭寇のために漁業が未発達

甑(こしき)と釜
竈(かまど) 高句麗の安岳第3号古墳の壁画
石臼 漢と同じものが出土

甑から竈へ移行 釜の使用 「おこわ」から「炊く料理」へ移行
煮て食べる → 蒸して食べる → 炊いて食べる

高麗 牛なし 羊、豚あり

中国:小麦粉を焼く
日本:餅を搗く
朝鮮:うるちを蒸して、こしき餅をつくる

嗜好食品は発達 白米漿、蜜水、熟水、薬湯、漿水、韲水

主食副食の文化は百済の頃より 出土する土器が豊富

東アジアでは十四、五世紀に匙は消滅。朝鮮では残る
熱い食事が多く器も熱伝導の良い磁器や金属器(真鍮)であったため、手で器が持てないため匙が残った

キムチには唐辛子以前は塩辛は使わない

古代北方領土の狩猟・牧畜・・・・

朝鮮独自の白磁文化・・・
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■古代北方領土の狩猟・牧畜・・・・には笑った。朝鮮人の領土感覚がすかして見える箇所だ。こんな感じだから話が朝鮮で閉じてしまっている。

■甑から竈への移行は、朝鮮の食文化が南方系から北方系への移行したということだろう。それはそれで良いと思うのだが、それ以上の広がりには関心が無いのか分からないのか。

■嗜好食品のところは、文字からでは、それがどんなモノなのかさっぱり分からない。また説明もない。韲水はキムチ水らしいが、他のモノはたぶん喋っている本人も分かっていないんじゃないのか?と疑う。

■主食副食は百済の頃に確立していたと言う意見には、後で森浩一氏から出土した土器の種類からの判断は危険じゃないかと補足あり。

■キムチと塩辛の関係については、⑨で別の見方を提示される。

■匙が朝鮮に残った件は、器が食事の作法を決定したと言っているのと同じだが、私はこれは逆だろうと思う。食事の作法が器を決定すると言うのが自然じゃないだろうか。朝鮮の場合は匙を使い続けたから金属器、それも丼鉢のような器であっても良かったのだと思う。


         
⑤蝦夷の食生活          浅井 亨 

以下、メモより

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チェトイ : 食べられる土(塩分を多く含んだ土)
トヨピラ : 土のある崖

ニマ   : 木鉢

ふくべら、あいぬねぎ、うど、ぶどう、うばゆり、どんぐり、くるみ、ふき、鮭、鹿、兎、干し魚、稗、粟

来る日も来る日も鮭ばかり・・・

権力支配の体制を許していなかったため料理専門の膳夫(かしわで)はいない

料理は女の仕事

茶、醤油、味噌はほとんどなし

油や脂肪は多用

魚を頭の先から尻尾まで全部刻んで食べるcitatapと言うモノあり
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■チェトイについて

食べられる土(塩分を多く含んだ土)についてだが、これはアマゾンなんかにもあったような。。。

■来る日も来る日も鮭ばかり・・・

鮭の季節には鮭ばかり食べる日が続くため、たまには粥が食べたかったというアイヌの老婆からの聞き取り調査からの話だったと思う。

■油を多用する件、citatapの件

③にも似たような内容が出てくる。あいぬねぎも同じ。

■膳夫(かしわで)については①。



続く・・・・。
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