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台湾の民族と文化 - 宮本延人、瀬川孝吉、馬渕東一(六興出版)

台湾の民族と文化

六興出版

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1987年12月10日初版印刷 1987年12月20日初版発行

著者は宮本延人、瀬川孝吉、馬渕東一。1986年3月21日、23日の二日に行われた鼎談。

理蕃政策というのがあって「第一に陋習をさせない」ということだったらしい。何かというと「首狩」をさせないということなのだが、特別居住区があってそこで首狩りが行われても日本の憲法は通じない制度になっていたそうだ。その他、日本名への変更や霧社事件など。




P74 理蕃政策
「理蕃課」理蕃大綱に基づき蕃地に住んでいる人(平地に住む一部も含み)教育・交易・医療・土木・土地などの政策を行う。

第一に陋習をさせない(首狩)

農耕の改良、焼畑をやめさせる

蕃地は特別行政区域。ここでは大日本帝国憲法は通用しない。蕃地で首狩りがあっても日本の憲法によって裁けるものではない。殺人罪は適用されない。理蕃課の指導で解決する。あくまでも指導である。

P85 就学率
台湾人(漢人)の就学率は低い。日本人は義務教育だったが台湾人には義務教育という制度は課せられなかった。

P89 蕃地との境界
昭和3~4年頃まで蕃地と平地の境界は電流を通じた鉄条網で隔離されていた。この境界は清朝時代からあった。

P93 蕃童教育所
蕃童教育所の四年間は日本語教育を主としてやった。日華事変後、漢人に対しては国語家庭というものをつくった。国語とは日本語。家中皆日本語が喋れるという家を国語家庭といった。国語家庭になれば優遇されることがあった。(蕃人に対しては不明)

P95 教科書
東京書籍の図書館に高砂族用の教科書がある。総督府編纂。

P97 日本名への変更
公共機関の医者、巡査などは古くから変更があった。一般的には日華事変後。高砂族は昭和18年から、台湾人の方が遅い。1940年という人もいる(法政大学学長 中村哲)馬淵氏の経験では1940年に台湾にいたが、戸口簿(住民登録兼戸籍)を見たら、カタカナばかり。改姓した人は僅か。できるわけはない。すぐにはできない。

P99 国民政府
戦後の国民政府は日本が48年間しなかった改姓を素早くやってしまった。

P100 霧社事件
理蕃政策への影響は?
瀬川:少しも変わらなかった。霧社事件はタイヤル族の反乱ではない。タイヤル族という一つのまとまったものはない。タイヤル族=アタヤル族は中央山脈の周辺南北百二十キロ東西九十キロに分布。

アタヤル族を三つの群に分ける。アコレク、ツオレ、セデク

霧社事件をおこした霧社蕃はセデク群

セデク群 - トロク蕃    950人
     - タウツァー蕃  860人
     - 霧社蕃    1200人

 ※中央山脈の西側に居住
 ※人数は昭和6年(馬渕)

霧社事件に参加したのは霧社蕃の内、半分程度。1200人の内、生き残りは250人。あとは事件に参加していない。事件当時の人口が1800人程度であったから事件には半分しか参加していない。

トロクとタウツァーは日本側について霧社蕃の討伐に参加している。この時、ブタン族の動員は取り消しになった。首狩りを恐れたため。

P104 霧社事件の真相
社会組織の研究をしないと真相はつかめない。何故参加したのか。何故参加しなかったのか。アタヤル族の反乱と言っても政治的な集団としてのアタヤル族は存在しない。

P116 漢人
台湾に住む漢人は、どうせ台湾は植民地だと言うあきらめがあった。日本時代以前からずっと植民地であったため慣れていた。

P126 高砂の名称
大正時代から。それまでは生蕃、熟蕃。

P130 高砂族
大正12年、今上陛下が台湾へ。この時、高砂族という名称を使い始めた。

P188 粟、芋
粟作 : 鍬耕作
芋作 : 堀棒

P190 BP
BP : BEFORE PRESENT(BEFORE PHYSICS)
放射性炭素年代測定法によって得られた年代を示す方法は期限1950年からさかのぼる年数であらわしており、それを示す記号。

P191 鍬
熱帯地方を中心に世界中で使われる農具。その原形は石斧(ハンド・アックス)と考えられ畑作と結びついて発達したとされている。

P197 蕃族調査報告書(総督府)
全部で24冊(台湾で復刻。南天書局)
これは世界的にみても早い。植民地の習慣法の調査など、どこの国もやっていなかった。オランダで慣習法の全集を出したくらい。


コメント一覧

k-74
ちょっとすべった(笑)
>昭和3~4年頃まで蕃地と平地の境界は電流を通じた鉄条網で隔離されていた。

ということは日本統治時代に「首狩」の習慣はなくなったというわけですよね。

「日本統治の間ですから1945年・・・」以下の文章はいい加減な私の思いつきでした。

申し訳ありません。



k-74
re:へぇ12。
>そうか、「首狩」…。

わたしゃ、かなり驚きましたよ。歴史で言うとつい最近じゃないですか。100年たってない。日本統治の間ですから1945年の時点ではこうだったわけで。

日本は日本人らしくやんわりと、悪く言うと手をこまねいていたんでしょうが、その後に台湾に入った中国国民党はあっという間に片付けた。どれだけ強引なことしたのか・・・。

アメリカインディアンなんかが部族によっては入植してきた白人を捕まえて、煮るとか焼くとかしてたらしいですけど・・・だから白人は躍起になってインディアンを殺戮したらしいのですが、台湾の話からすりゃずっと昔。

日本人て優しくて手ぬるいから、後から禍根を残すのか(笑)
あら座
へぇ12。
子供の頃の、マンガやアニメにあった「頭蓋骨のネックレスをした土人」はニューギニア島周辺の人々ってイメージでしたが、台湾でもあったかもしれなかったでしたね。
そうか、「首狩」…。
しかし、植民地に置きながら、「首狩」も文化の一つとして日本法律に適用しないとする度胸の広さにも驚かされてしまう。
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