投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

サムライたちの小遣帳 - 神坂 次郎(新潮社)

サムライたちの小遣帳
神坂 次郎
新潮社

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1996年8月20日発行 新潮社

著者は1927年和歌山県和歌山市生まれ。1943年(昭和18年)4月、陸軍航空学校に入校。愛知県小牧飛行基地で敗戦を迎える。戦後、演劇関係の仕事につき、長谷川伸と知り合い、時代小説を書き始める。1982年、「黒潮の岸辺」(中央公論社)にて第2回日本文芸大賞受賞。1987年(昭和62年)、「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」(新潮社・新潮文庫)で第1回大衆文学研究賞(評伝部門)受賞。1992年(平成4年)、皇太子徳仁親王熊野行啓に際し自著「熊野御幸」(新潮社)を2時間半に渡って進講。三田文学会員。(社)日本ペンクラブ理事。

この本は新聞、雑誌に発表したエッセイを集めたもの。本の題名となっている文章はp97に載っている。(歴街道1995年5月号)

前にも書いたが江戸時代のサムライの収入は時がたっても一定で、役につかない限りは親の代も子の代も孫の代も変わらなかった。しかし農民や商人や職人は平和な時代が続くにつれ所得はあがり生活は豊かになる。戦国時代なら芋の葉と蔓を糠みそで大なべで煮たもの美味い美味いと食べていたようなサムライであっても、太平の時代にあってはとてもとてもやり切れたものではない。気分だけではなく実生活として内職でもしなければ江戸の町でやっていけなかった者が多かった。

そんな時代でもサムライは胸を張って生きていかなければならない。それを可能にさせたものは何か。「武士としての誇り」と貧するサムライを暖かく見守る「人と人のつながり」だった。集団がきちんと機能することに喜びを感じ、全員がそれを互いに信じて生きている日本人の「人と人とのつながり」の精神が、サムライ同士のみならずサムライと町人の間にもあった。

以下メモ

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p89金の目、銀の目

江戸は金貨、大阪は銀貨、名古屋は両方

金貨(将軍、大名、旗本、中級以上の武士、その他)
銀貨(家主町人、下級武士、その他)
銭貨(武家奉公人、小売商人、職人、労働者、店者)

武家の家の建て前を行った大工の棟梁は銀貨で支払いを受ける

江戸では薬や砂糖は銀貨、野菜は銭貨

吉原の太夫は金貨、中級の格子は銀貨、下々の女郎は銭貨

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