クラーナハ展-500年後の誘惑
2016年10月15日~17年1月15日
国立西洋美術館
本展の第1章は、「蛇の紋章とともに-宮廷画家としてのクラーナハ」。
本展出品作で制作年が最も古い作品は、油彩画で1508/09年頃、版画で1506年。
画家がザクセン選帝侯の宮廷画家となって、1505年にヴィッテンベルクに移住して以降の作品が対象となっている。
ヴィッテンベルクに移住する前、画家はウィーンで活動しており、作品も多くはないようだが残っている。
1472年、画家は現ドイツ・バイエルン州の北東部クローナハで生まれる。画家の名「クラーナハ」は故郷の街の名から来ている。
芸術新潮2016年11月号のクラーナハ特集では、故郷の街クローナハの紹介コーナーがある。ドイツらしい建物が並ぶ美しい街のようである。ヨーロッパ屈指の要塞の町としても知られ、フランケン・ギャラリーという美術館もあってクラーナハ作品も相応数展示しているらしい。
画家は、同じく画家であったらしい父のもとで絵を学び、当時の通例に従い遍歴修業の旅に出る。
どこを訪れたかは不明とのことであるが、行き先に少なくともイタリアは含まれない。何故イタリアに行かなかったのか不思議、10/15開催の記念講演会でも講師からその旨の発言が何度か出ている。
そして、1501年頃、画家30歳手前、ウィーンで活動を始めて、頭角を現す。
ウィーン時代の作品
(いずれも出品作品ではない)
《磔刑図》
1501年
ウィーン美術史美術館
《キリストの哀悼》
1503年
アルテ・ピナコテーク
《キリストの磔刑》(部分)
1500-04年頃
ベルリン美術館
《悔悛する聖ヒエロニムス》
1502年
ウィーン美術史美術館
《エジプト逃避途上の休息》
1504年
ベルリン国立美術館
《ヨハネス・クスピニアンの肖像》《妻アンナの肖像》
1502-03年
オスカー・ラインハルト・コレクション、ヴィンタートゥール
宗教画と肖像画である。
普通に宗教画・肖像画している。
いずれも実物を見たことはない(☆)が、後年のクラーナハ作品とは雰囲気が違う。
特に、磔刑図3点。
ウィーン作品の『キリストの身体的苦痛を強調』、ミュンヘン作品の『極端なくらいに斜めから捉えた構図』、ベルリン木版画作品の『十字架と人体がまるで一体化』。ドイツ・ゴシックの伝統。(以上、芸術新潮より。)はまりそうである。
大昔、初めてクラーナハを見たとき。当時は、美術は分からないけれども、名画と言われる絵画を見続けていれば、そのうち分かってくるかもしれない、と思っていた頃。
こんな青年向け漫画みたいな絵でありながら、どうして西洋美術史を彩る画家とされているのか。美術というのはなんとつかみどころのないものだろう、これでは美術が分かることはないだろうなあ、と呆れた思い出がある。ただ、クラーナハの名前は脳裏に深く刻み込まれた。
ウィーン時代の絵が続いていたら、そんなことを思う前に、絵に目を止めることもなく、画家の名を覚えることもなかっただろう。
(☆追記)1501年の《磔刑図》は、2002年東京藝術大学大学美術館のウィーン美術史美術館名品展で来日していることをUP後に知る。同展でデューラー《若いヴェネツィア女性の肖像》や、カラヴァッジョ《荊冠のキリスト》、ルーベンス《メドゥーサの頭部》、アルチンボルドなどを観た記憶はあるが、クラーナハについては出品されていたこと自体も記憶にない。惜しいことをした。同展の出品リストを見ると、相当豪華な布陣である。