SURVIVE - EIKO ISHIOKA
石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか
2020年12月4日~2021年3月19日
前期 {広告・キャンペーン}
2020年12月4日〜2021年1月23日
後期 {グラフィック・アート}
2021年2月3日〜3月19日
ギンザ・グラフィック・ギャラリー
東京都現代美術館の大回顧展は、最後の数日間は入場制限もあって当日券購入に最大150分待ちが発生するほどの人気をもって2/14に閉幕したが、こちらの回顧展は引き続き開催中。
石岡瑛子(1938〜2012)のギンザ・グラフィック・ギャラリー(GGG)における回顧展。
石岡のデビューから1980年代のニューヨークへ渡るまでの日本の仕事に焦点をあてる。
前後期の2期制で、後期は映画・演劇・展覧会などのポスターやグラフィック・アートを中心とした展示である。
後期訪問時の記事は既に挙げたところだが、追加記事として、もう1点、展示内容を挙げておく。
「NUBA レニ・リーフェンシュタール写真展」
1980年、西武美術館
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アフリカのヌバ族を撮影したレニ・リーフェンシュタールの写真展(西武美術館、1980年)のためのポスター。1973年に写真集『最後のヌバ(THE LAST OF THE NUBA)』をニューヨークの書店で偶然目にして衝撃を受けた石岡瑛子は、レニ・リーフェンシュタールに会いに行き直接取材したことなどから、彼女の大きな信頼を得るに至った。(中略)石岡は1979年、女性誌『MORE』で40頁に亘るレニの特集を組み、引き続き本展でもカタログから会場デザインまでをトータルに手掛けた。レニにとって世界初めての個展は、当時写真展として西武美術館の最高入場記録(2万人)となり来日したレニを喜ばせた。その後1991年に「映像と肉体の意志-レニ・リーフェンシュタール展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)もプロデュースしている。レニは、ヒトラーへの協力で、第二次世界大戦後は大きな負の遺産と闘ったが、日本ではこの石岡との出会いで復権を果たすことができた。
本展の出品ポスターは、船橋西武美術館とあり、船橋?、池袋ではなかったの?、と思うが、船橋の西武美術館にて4/29〜5/18に開催したあとに、池袋の西武美術館にて5/31〜6/24に開催したようである。入場者2万人は、両会場あわせた数字だろうか。
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レニは、この展覧会時に来日したらしい。1902年生まれのレニは当時78歳。石岡は42歳。2人を撮影した写真、石岡が若い。
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このポスターの文章も、石岡によるものだろうか。