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【画像】大装飾画への道 -「モネ 睡蓮のとき」(国立西洋美術館)

2024年11月21日 | 展覧会(西洋美術)
モネ 睡蓮のとき
2024年10月5日〜2025年2月11日
国立西洋美術館
 
 
 モネの「水の庭」作品、そのなかでも「大装飾画」に向けて制作を開始した1914年(74歳)以降の作品に焦点をあてる本展。
 
 東京会場では、パリのマルモッタン・モネ美術館所蔵の48点を中心として、国立西洋美術館所蔵の10点、他の国内美術館所蔵の6点、全64点が展示される。
 
 2015-16年のマルモッタン・モネ美術館所蔵作品による「モネ」展(東京会場は東京都美術館)は、印象派の呼称の由来となったとされる《印象・日の出》が目玉作品で、初期から最晩年まで画業全体を対象とし、モネ自身が所蔵していた同時代の作家作品も展示される総合的な内容であった。
 
 本展は、対象を絞ることで、見やすく、かつ、見応えのある内容となったと思う。
 
 
 
 以下、3章 「大装飾画への道」。
 
 最終の目的地も見えないままに、1914年(74歳)にスタートさせた「大装飾画」計画。
 モネの死の翌年1928年に一般公開される、オランジュリー美術館の2部屋の8点22枚のパネルからなる「大装飾画」として結実する。
 その間、100点近い習作のほか「水の池」関連作を含めると知られているだけで174点を制作。それ以外に画家自身により廃棄された作も多数あったようだ。
 
 本展ではそのうち44点(東京会場は43点)が出品される。
 
 3章「大装飾画への道」は、国立西洋美術館所蔵作2点と、マルモッタン・モネ美術館所蔵作7点、計9点の「大装飾画」の習作・関連作からなる。
 その展示室(一番下・地下3階)は、オランジュリー美術館の「大装飾画」の楕円形の展示室を模した展示空間となっている。
 
 
 
 
 モネの「睡蓮」大装飾画に囲まれる、と言いたいところだが、訪問は土曜日の午後。
 入場40分待ちの列に並んだ(実際には20分強で入場)後の展示室内は、たいへんな混雑なうえに、撮影大会の場と化していて、各作品を個々に見ることしかできない。
 囲まれる感じを味わうためには、日と時間を選ぶ必要がある。
 
 
 
No.42《睡蓮、柳の反映》
1916-19年頃、130×157cm
マルモッタン・モネ美術館
 
No.38《睡蓮》
1914-17年頃、130×153cm
マルモッタン・モネ美術館
 
No.41《睡蓮》
1917-19年頃、130×120cm
マルモッタン・モネ美術館
 1917年から1919年にかけ、モネは約20点の横長の画面に、いずれもほぼ同じ構図の睡蓮の池を描きました。本作もその一つであり、第二次世界大戦中に画面右側が大きく損傷を受けたために切断されています。オリジナルの状態では、縦1.3✕横2メートルの画面の両端に、ポプラと枝垂れ柳の影がさながら舞台の幕をかたちづくるように配されていました。これらの作品は大装飾画の制作過程にあって、例外的に、当初から売却を前提として手掛けられたと考えられます。
 
No.37《睡蓮》
1914-17年頃、130×150cm
マルモッタン・モネ美術館
 
No.36《睡蓮》
1916-19年頃、150×197cm
マルモッタン・モネ美術館
 水面に映し出される雲の反映像は、モネの風景画において初期から頻繁に描かれてきましたが、〈睡蓮〉に限っていえば、1909年以前の作例にはほとんど登場しません。
 しかし、1914年以降の大装飾画の制作において、このモティーフは、池の周囲に植えられた枝垂れ柳とその反映像とともに、きわめて重要な位置を占めるようになります。
 そうすることで、おそらくモネは、水面の上で天地が一体となったかのような効果を強めようとしたのでしょう。本作でも、動勢に富んだ自由なストロークによって木と水と空が混然一体と描かれ、一つの小宇宙をかたちづくっています。
 
No.39《睡蓮》
1916-19年頃、200×180cm
マルモッタン・モネ美術館
 
No.40《睡蓮》
1916年、200.5×201cm
国立西洋美術館
 本作は、オランジュリー美術館の「大装飾画」のうち、《緑の反映》に関連づけられる習作で、《睡蓮、柳の反映》(no.45)と同様、1921年にジヴェルニーのアトリエを訪ねた松方幸次郎がモネから直接購入した作品のひとつです。
 ここでは、垂直方向に強調された濃い背の硬質な筆致が、水中の神秘的な深みをも暗示しています。モティーフが画面全体をまんべんなく覆うきわめて平面的な構成をとりながら、同時に、睡蓮の花が色鮮やかに咲き誇る水面と、そこに映りこむ周囲の木々や空の反映、そして水草が揺らめく水底という、重層的な絵画空間が生み出されています。
 
No.43《睡蓮、柳の反映》
1916-19年頃、200×200cm
マルモッタン・モネ美術館
 二股に分かれた枝垂れ柳の幹がかたちづくるゆるやかなS字形の反映像は、オランジュリーの大装飾画のうち《木々の反映》の中心的モティーフをなします。モネはこのモティーフにこと大きな関心を寄せていたと見え、複数の素描と6点の習作、そして2016年に再発見された国立西洋美術館所蔵の装飾パネル(no.45)の中に描き込んでいます。縦横2メートルにおよぶ本作はその6点の習作のうちでも最も巨大なもので、荒々しいマティエールをとどめた正方形の画面の中央に、青の明暗の調子で表された樹影の茫たる形象が浮かび上がります。垂直の鋭いタッチで表された木漏れ日のきらめきは、白内障による失明の恐怖の只中にあった画家の光への渇望を伝えるかのようです。
 
No.45《睡蓮、柳の反映》
1916年?、199.3×424.4cm(上部欠損)
国立西洋美術館
 日本の実業家で、国立西洋美術館のコレクションの基礎を築いた収集家の松方幸次郎は、1921年にジヴェルニーのモネの家を訪れ、18点ほどの作品を画家から直接購入しました。本作もその一つで、大装飾画の関連作品を外に出すことを嫌ったモネが、生前に唯一、売却を認めた装飾パネルです。また本作は、1923年に関東大震災の被災者のためにパリで開かれた展覧会にも出品されました。これを知ったモネは抗議し、すぐに会場から撤去させます。その後、第2次世界大戦を経て、長らく所在不明となっていましたが、2016年にルーヴル美術館において、画面の大部分が破損した状態で再発見されました。
 
 
 
 次の巡回地・京都と豊田では、国立西洋美術館所在作2点は出品されず、代わりに、次の作品が出品される。
 
No.44《睡蓮、柳の反映》
1916-19年頃、130×197.7cm
北九州市立美術館
 
 京都・豊田でも、3章は、「大装飾画」を展示するオランジュリー美術館の楕円形の展示室を再現した展示空間が用意されるのであろうか。
 おそらく国立西洋美術館より展示スペースに余裕があるだろうから、この8点でどのような展示空間が作られるのだろうか、気になるところ。


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