東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

2016年1月3日の東京国立博物館

2016年01月04日 | 東博総合文化展

2016年1月3日の東京国立博物館

   1月3日16時頃、東京国立博物館を訪問する。

   正月の東博詣は定着しているようで、この時刻でも本館総合文化展の展示室やミュージアムショップは大変な人。

   本館2階2室の国宝室では長谷川等伯《松林図屏風》、2階特別1室と2室では「博物館に初もうで 猿の楽園」と題して「申」にちなんだ美術品が展示。いずれも人だかりができていて、写真撮影なぞ出来る状態ではない(←目的がズレている)。


   そこで、本館2階3室「宮廷の美術―平安~室町」の物語絵巻断簡の掛幅装6幅を楽しむ。といっても、ここも人が絶えることはない。


以下、写真撮影可の4幅。


重文《紫式部日記絵巻断簡》鎌倉時代・13世紀

  1920年に発見された当時は詞書5段、絵5段からなる巻子。益田鈍翁が所有時に分断。1932~34年のこと。断簡の現所蔵は、東博1、五島美3、個人1。

 

重文《狭衣物語絵巻断簡》鎌倉時代・14世紀 2幅

   徳川将軍家に伝来し、幕末の動乱時、寛永寺に疎開したものの、明治元年の彰義隊との戦乱により焼失寸前、巻1上の絵の4段分が救い出された。
   その後6幅に分けられ、長い年月を経て、5幅が東博の所蔵となる。
   今回展示は2幅で、もとは1場面だった。「画面下部の波状の損傷は、罹災の状況を生々しく伝える」。

 

 

《男衾三郎絵巻断簡》鎌倉時代・13世紀

   2015年10月に、やはり東博総合文化展で、重文《男衾三郎絵巻》1巻(多分その一部)を観ている。その際の説明は、

「関東に住む武士の兄弟の物語。都の生活にあこがれる兄吉見二郎は宮仕えした都の女房を、武道一筋の弟男衾三郎は関東一の醜女を妻に迎えるが、大番役で京都に上る際、武芸を怠っていた二郎は山賊に襲われ死んでしまう。武士の本分とは何かを問うような物語。」


   断簡は、その後の物語の一部。

「二郎の死後、三郎の家に引き取られた二郎の妻と娘の慈悲が仕女として扱われ、厠の水汲みをさせられたという場面。」

   なんという展開。一体どういう話なのだろうか?

「二郎は三郎に妻子のことを託して死ぬ。しかし三郎は二郎の妻子を虐げ、国司が二郎の娘を見初めたので引き離し、かわりに自分の娘を引き合わせるが、国司がその醜さにあきれる、というところで終っているが、現状には途中一部に欠落もあり、さらなる物語の展開があったことも想像される。」

   武士の本分って結局何?

 


「博物館に初もうで 猿の楽園」。一番人気の作品を写真だけ撮る。

狩野山雪筆《猿猴図》江戸時代・17世紀

   4月からの「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」展は、表慶館で開催。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。