永遠の都ローマ展
2023年9月16日〜12月10日
東京都美術館
カピトリーノ美術館の所蔵品を中心とする、古代の都ローマの美術品を見る。
古代のみならず、中世・ルネサンス・バロック期、グランド・ツアー全盛期、そして19世紀日本とのかかわりにおいて、古代の都ローマの栄光を語る美術品たちである。
【本展の構成】
1 ローマ建国神話の創造
2 古代ローマの栄光
3 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想
4 絵画館コレクション
5 芸術の都ローマへの憧れ-空想と現実のあわい
特集展示 カピトリーノ美術館と日本
以下、第1章〜第3章において印象に残る展示品を記載する。
第1章 ローマ建国神話の創造
《カピトリーノの牝狼(複製)》
20世紀(原作は前5世紀)、ブロンズ
ローマ市庁舎
ローマの建国神話エピソードの一つ、のちにローマの創建者となる双子のロムルスとレムスは、テヴェレ川に捨てられるが、一匹の牝狼により、乳を与えられ育てられる。
本作のオリジナルのブロンズ像は、カピトリーノ美術館が所蔵する。
牝狼像の制作年代は、中世期とする説もあるものの、前5世紀のアルカイック後期の可能性が高いとされている。
双子像の部分は、1471年に教皇シクストゥス4世によりカピトリーノに寄贈されてから後のルネサンス期に付加された。
ソパトロス《負傷した牝犬》
前100年頃(原作は前4世紀)、大理石
ジョヴァンニ・バッラッコ古代彫刻美術館
古代ローマのカピトリヌス三神のユピテル神殿に納められていた「負傷した牝犬」を表すブロンズ像の大理石による複製とみなされている。
本作は、台座の表面に刻まれた署名が残されていて、複製の作者がヘレニズム期のコピー作家ソパトロスだと特定されている。
《『イリアス』の石板》
前1世紀末、大理石
カピトリーノ美術館
25×28cmの小さな浅浮彫の石板。
『イリアス』の場面が実に細かく彫られている。
画面の柱の表面には、老眼にはすぐにそれと分からないほど小さい文字がぎっしりと刻まれている。物語のあらすじをギリシア文字で記しているとのこと。
《ティベリウス・クラウディウス・ファウェンティヌスの祭壇、通称カザーリ家の祭壇(複製)》
1933-37年(原作は祭壇:2世紀後半、銘文:3世紀以後)、雪花石膏
ローマ文明博物館
直方体の祭壇の4面すべてに、神話装飾が展開される。
正面の「ヴィーナスとマルスの密通」、右側面の「パリスの審判」と「トロイア戦争の戦闘場面」、左側面の「ヘクトルの遺体を見せしめにする勝者アキレス」と「ヘクトル葬列」、背面の「双子ロムルスとレムスの誕生物語」。
ケース無し展示はよいが、壁沿いに床置きなので、4面を隅々まで見るのに難儀する。「ヘクトルの遺体を見せしめ」部分は、どこがそれにあたるのかよく分からなかった。
第2章 古代ローマの栄光
古代ローマ人の肖像彫刻が並ぶ。
まずは、大理石の頭部像・胸部像が11点。
男性像は、カエサル、および4人の皇帝(アウグストゥス、トラヤヌス、ハドリアヌス、カラカラ)の計5点。
女性像は、アウグストゥス帝の妻リウィア、トラヤヌス帝の姪でハドリアヌス帝の義母マティディア、東ローマ帝国皇后アリアドネ、および逸名女性3名の計6点。
理想化とリアルのバランス具合や、加えて女性像はその髪型ファッションを楽しむ。
《リウィアの肖像(複製)》
制作年不詳(原作は1世紀初頭)、石膏
アラ・パキス美術館
長い前髪を額の上で小さく膨らませ、残りをうなじで結いとめる。
《女性の胸像》
頭部:1世紀末-2世紀初頭、胸部:2世紀後半、大理石
カピトリーノ美術館
たくさんの前髪をすべて小さなカールに巻き、帽子の鍔のように顔を縁取る。残りの髪は細かい三つ編みにして、後頭部で硬く巻き上げる。
肖像彫刻では、小さなカールひとつひとつの中央にドリルで穴を穿たれているので、蜂の巣を被っているように見える。
年配女性の全身像。
《老女像》
2世紀、大理石
カピトリーノ美術館
この像は、これまで、シビュラ(巫女)、あるいは、泣き女(葬列において歌と嘆きの叫び声を供する参列者)、あるいは、絶望するヘカベ(トロイア王の妻)など様々な解釈がなされてきたが、最近では、世俗彫刻とみなし、乳母、または、単純に老婆とされているとのこと。
胸や腹の表現に注目する。小さな頭部は、16世紀末頃の補完。真横から見ると、えらく薄い身体。
コンスタンティヌスの巨像(断片)の複製3点。
(画像はジュニア・ガイドより)
カピトリーノ美術館は、コンスタンティヌス帝(在位:306-337)の巨像2体(ブロンズ像および大理石像)の断片を所蔵する。
ブロンズ巨像の断片は、もとはラテラノ教皇宮正面に置かれていたが、1471年に教皇シクストゥス4世により、カピトリーノに移される。
大理石巨像の断片は、1486年にマクセンティウス帝のバジリカから発見され、カピトリーノに収蔵される。
本展では、ブロンズ像の断片である、頭部(高さ約1.8M)および球体を持つ左手の複製、ならびに、大理石像の断片である左足の複製が展示される。
大きさが、奈良の大仏を想起させてしまう。
図版パネルで紹介される18世紀の素描2点も、印象に残る。
フュースリ
《古代の巨像断片に絶望する芸術家》
1778-80年、チューリヒ美術館
ユベール・ロベール
《カピトリウムの古代彫刻》
1754-65年頃、ベルリン芸術図書館(ベルリン美術館)
ミラノ勅令によりキリスト教信仰を公認し、コンスタンティノポリスに新たな都を築いた皇帝の巨像断片は、グランド・ツアー時代、ローマを訪れたヨーロッパ人たちを大いに魅了したことを教えてくれる。
《カピトリーノのヴィーナス》
別記事を挙げているので、ここでは割愛。
第3章 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想
中世期のローマは、この2点のモザイク。
ローマ派工房
《ローマ教会の擬人像》
13世紀初頭、モザイク
ジョヴァンニ・バッラッコ古代彫刻美術館
《教皇グレゴリウス9世の肖像モザイク》
1227-41年、モザイク
ローマ美術館
いずれも、旧サン・ピエトロ大聖堂のモザイク装飾の一部(前者はアプシス(後陣)、後者はファザード(正面))で、新聖堂建築により取り壊されたもの。今ではわずかな断片が残されるのみらしい。
私的には、中世の都市ローマも本格的に取り上げて欲しいところであるが、いかんせん、カピトリーノ美術館には中世期の所蔵品はあまりないらしく、それは望めなかったようだ。
本展の記事についてはいったん以上とする。
福岡市美術館に行くことがあったら、続きを記載することとしたい。