大吉原展
2024年3月26日〜5月19日
東京藝術大学大学美術館
遊郭は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である。
本展の学術顧問を務める田中優子氏の著書『遊郭と日本人』2021年10月、講談社現代新書より。
一方で、大正・昭和のイメージから、吉原は、単なる娼婦の集まる場所と考える誤解があるとし、次のとおり記す。
遊郭は日本文化の集積地でした。
遊女が、高い教養を待ち、輸入香木を焚きしめ、とても良い香りを放ち、和歌を作り、三味線を弾き、生け花や抹茶の作法を知っており、一般社会よりもはるかに年中行事をしっかりおこない、日本文化を守り継承してきた存在でもあったことを忘れてはなりません。
本展の後期を訪問する。
前期は、開幕早々の平日午後に訪問するが、予想より2倍超の混み具合で、映像やパネル解説を一つ一つ読んだ(馴染みのない言葉が多数)ことから、閉館時刻まで3時間滞在するが、最後の展示品まで辿り着けずに終わる。
今回の後期は、混み具合は前回よりやや少なめで、作品解説以外の解説はパスし、鑑賞作品も絞ったため、前回の半分くらいの滞在時間となる。
本展は、浮世絵名品展。
吉原を主題とする絵画や出版物のほとんどは、妓楼の宣伝目的や購買者の需要に応じて制作されている。
つまり、吉原の文化を賛美する作品が並ぶ。
ワズワース・アテネウム美術館所蔵の喜多川歌麿の肉筆画《吉原の花》は、箱根の岡田美術館での展覧会以来2度目の実見となるが、204.5×275.0cmと大型で、描かれた人物は全員女性で、女性たちだけで吉原で宴会をおこなうという空想の世界は、見応えがある。
大英博物館からは20点ほどの出品。
他は国内所蔵で、前後期で全220点超。
名品であっても、テーマが同じなので、そのうち食傷気味になる。
負の展示も期待するが、浮世絵には存在しないのだろうか。
吉原の最下級の遊女を描いた他に類のない作品とされる歌麿の《北国五色墨 てっぽう》も、何故か実物の出品はなく、図版と解説による紹介となっている。
幕末明治期を取り扱う「吉原の近代」の一画では、2020年の国立歴史民俗博物館「性差の日本史」展で紹介された幕末明治期の吉原の実情に関する新しい研究成果のいくつかについて、解説パネルにより紹介されていて、興味深く読む。
1872(明治5)年の芸娼妓解放令の発出と翌1873年の「貸座敷渡世規則等の制定」- 公娼制度の再編(「自由意志」によって座敷を借りて個人的に営業を行っている、という建て前の導入)により、日本文化の集積地としての吉原は終わったのだろう。
私的には、仮宅営業のことを初めて知る。
吉原が火災で全焼すると、期間限定(最大500日程度)の他の場所での仮宅営業が許可された。
仮宅営業では、万事控えめ・質素が条件となり、遊女のファッションも煌びやかさがなく、本来とは違った雰囲気が味わえる、茶屋制度に縛られず諸経費が安くなる、江戸市中から行きやすくなる、とむしろ盛況となるのが常であったとのこと。経営難の遊女屋が持ち直した、仮宅営業を期待して火事を喜ぶ遊女屋もあった、などの話もあるらしい。遊女としても、張見世に出る必要がなく、外出も自由であったという。
その火事であるが、1800年以降幕末までに23回の火事が発生。うち11回で吉原が全焼。13回(半分以上!)が遊女の放火であったらしい。なかには、遊女16人が2年以上合議を重ねて集団で放火(大火にならぬよう細心の注意のうえ)し、即自首し、抱え主の非道を訴えるという事件もあったという。
吉原の歴史について知るよい機会となる。