東京でカラヴァッジョ 日記

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【再訪】「令和6年新指定 国宝・重要文化財」(東京国立博物館)

2024年05月07日 | 展覧会(日本美術)
令和6年新指定 国宝・重要文化財
2024年4月23日〜5月12日
東京国立博物館 本館特別1室・特別2室・11室
 
 
 前回訪問時時間の関係でチラッと見ただけで済ませた本館11室展示の「彫刻」を見るため、再訪する。
 
 お目当ては、前回訪問時の記事のコメントで、むろさん様から強い推奨をいただいた福井・八坂神社の重文《木造牛頭天王坐像》。
 
 
重要文化財
《木造牛頭天王坐像》
《木造女神坐像》
平安時代・12世紀
八坂神社(福井県丹生郡越前町)
 
 両像は、隣同士ではなく、少し離れて展示されている。
 
 まずは《木造牛頭天王坐像》。
 光背や台座も制作当初のものとのこと。
 台座の虎がよい。日本美術定番の「実物を知らず、想像で描いた虎」。コミカルな表情もよいが、特に楽しんだのは、全身に描かれているトラ模様。光背を含めて、これだけよく彩色が残ったものだ。ずっと秘蔵されていたのだろうと思わせる。
 
 次に《木造女神坐像》。
 頭部は十一面観音、体部は女神という神仏習合の姿をとる珍しい像であるらしい。
 既視感がある。むろさん様から2013年の東博「国宝 大神社展」出品作との情報をいただいているが、同展にかかる拙ブログ記事には神像より古い鏡のほうを楽しんだ旨の記載であり、その像に注目した様子はないので、何かと混同しているのだろう。今は神像彫刻を見るのは結構好み。漠然と見るだけだが。
 
 《木造女神坐像》が1999年に県指定有形文化財に指定されているのに対し、《木造牛頭天王坐像》はこれまで指定されていなかったようだ。国重要文化財指定を機に、今後展覧会に出品される機会も出てくるかもしれない。
 
 甲を身に着け、頭上に牛頭をいただき、虎に坐る三面十二臂の牛頭天王像。
 唐髪で頭上に十一面をいただく女神像。
 それぞれ針葉樹材の一木造で、作風より12世紀後半の製作と推定される。
 牛頭天王像は八坂神社本殿に伝来し、女神像は八坂神社の摂社・御塔神社に伝来したものである。
 両像は大きさがほぼ同じで、体幹部の木取りや像底を鑿で彫り窪める点、両足部の正中線に墨線を引くなど構造技法が共通することから一セットとして製作されたとみられ、揃って伝来している点は貴重である。
 牛頭天王像は、現存する作例のうち最も本格的な彫像で優れた出来映えである。
 女神像は八坂神社の祭神の一つで十一面観音を本地仏とする白山妙理権現である可能性や、牛頭天王の后である婆利女である可能性が考えられる。また、頭部を十一面観音に表すなど神仏習合の彫像形式の展開を考える上で注目される。
 
 
 
 本館11室展示の他の新指定作品は、次のとおり。
 
国宝
《木造准胝観音立像 (木造六観音菩薩像のうち)》
《木造地蔵菩薩立像》
定慶作、鎌倉時代・貞応3年(1224)
京都・大報恩寺
✳︎国宝新指定の《木造六観音菩薩像》6軀のうち1軀、および《木造地蔵菩薩立像》の計2軀が出品。
✳︎2018年の東博「京都  大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展にて、今回の国宝新指定7軀すべてが出品。同展では、そのうちの1 軀《聖観音菩薩立像》のみが撮影可能であった。
 
 
重要文化財
《木造薬師如来坐像/木造十一面観音立像/木造二天王立像(その2)(南禅寺伝来諸像のうち)》3軀
奈良時代・8世紀、平安時代・10~12世紀
谷津区(静岡県賀茂郡河津町谷津)
✳︎南禅寺伝来諸像26軀(附・15 軀含む)のうち3軀が出品。
✳︎普段は、2013年開館の「伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館」にて展示公開されているようだ。
 
 
重要文化財
《木造阿弥陀如来立像》
《木造地蔵菩薩立像》
快慶作、鎌倉時代・13世紀
安楽寺(三重県松阪市安楽町)
 
 
重要文化財
《銅造観音菩薩立像》
飛鳥時代・7世紀
奈良・法隆寺
 
 
 
 私的には大型連休後半がラストチャンス、と行き先を上野に変更して再訪するが、行ってよかった。


9 コメント

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牛頭天王像解説についての質問 (むろさん)
2024-05-07 23:55:00
上記本文の福井八坂神社神像に関する部分で、「体幹部の木取りや像底を鑿で彫り窪める点、両足部の正中線に墨線を引くなど構造技法が共通する」とありますが、文化庁のHP(https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94018601_03.pdf)や東博のショップで販売している「令和6年新指定文化財図録」解説P70には「体幹部の木取り」「両足部の正中線に墨線を引く」という文章はありません。(「美術史」64号の西川新次氏解説には十一面女神像について全く触れていないので、当然このような文章は出ていません。)この文章はどこから引用されたものでしょうか?
なお、5/25発売予定の第一法規「月刊文化財」6月号は新指定重要文化財美術工芸品特集であり、上記の図録よりも詳しい解説が掲載されますので、「体幹部の木取り」「両足部の正中線に墨線を引く」という記載があるかもしれません。
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Unknown (k-caravaggio)
2024-05-08 07:11:41
むろさん様
ご照会の件ですが、福井県の報道発表資料の記載を写させてもらいました。
https://www2.pref.fukui.lg.jp/press/atfiles/padf170986489053.pdf
よろしくお願いします。
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牛頭天王像解説の件 (むろさん)
2024-05-09 00:46:10
早速のご回答ありがとうございます。県の資料とは予想していませんでした。
今までの例では県指定物件の場合は、その指定段階で県の資料が作成され、それからしばらくして国指定になる時には、県側は新たな資料を作らないことが多かったようです。(最近の例では平成29年国指定の東京葛飾区恵明寺不動明王、平成31年の大阪壺井八幡宮神像に関して、それ以前に都道府県が指定した時点で作られた資料を国指定時に参考として確認しました。)今回の福井県の場合は、県独自のものではなく、文化庁の資料を掲載しただけのように思えます(月刊文化財6月号が出たら比べてみます)。

今後の新指定文化財の展示や神像彫刻についてはいろいろ情報や考えていることがありますが、今週末までは忙しいので、月曜日以降に改めてコメント投稿します。
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文化庁新指定重要文化財展示の件、神像彫刻、その他 (むろさん)
2024-05-27 19:14:11
遅くなりましたが、新指定重要文化財展示その他について、追加分を投稿します。

①新指定重要文化財展示
主に彫刻関係ですが、私は20年ぐらい前から東博での新指定重要文化財展示を楽しみにしていて、特別展よりも重視していると言っても過言ではありません。それは今回の牛頭天王でもそうですが、この展示は所有者にとっても特別の意味があり、この機会以外に今後公開することはない、という展示品があるためです。

そもそもこの展示の意味は、国指定重要文化財の候補作品を専門委員の方が実物を見て審議するために東京に集め、審議終了後ついでに一般にも公開するというものです。なお、磨崖仏や巨大な仁王像のように運搬ができない物件については、専門委員が現地まで行って審査しています。東博内には文化庁の保管場所があるそうですから、委員会も東博内で実施しているのだと思います。

昨年の文化庁京都移転に伴い、東博での展示は京都に変わるのかと思っていましたが、京都で公開するには保管場所や展示場所がまだ準備できていないようで、私は当面の間東博での公開が継続されると思っています。(文化庁の京都新庁舎には保管施設も作ったそうですが、コンクリートから出る文化財に対する影響のある物質が減少するまでには数年必要とのこと。また、京博は東博より展示室が少ないので、展示場所の問題もあるようです。煉瓦作りの京博旧館を活用できれば別ですが。)審議を京都で行い、展示を東京で行うのでは文化財の運搬費用が余計にかかるため、文化庁の事務局担当者が京都から東京へ出張するだけで済む「東京で審議、展示」という従来方式が現時点では最も合理的だということです。なお、審議委員の方は大学、博物館等全国レベルだと思いますが、人数としては東京周辺の方が多いのではないでしょうか。

②神像彫刻
神像彫刻を勉強するのに有用な資料を挙げておきます。
古美術3号 三彩社1963年 特集日本の神 神像彫刻
岡直己著 神像彫刻の研究 角川書店1966年
別冊太陽 神像の美 2004年
仏教芸術(毎日新聞社版)343号~350号(2015~2017) 神像彫刻新資料1~7 伊東史朗他
神像彫刻重要資料集成1~4巻(2016~) 国書刊行会 伊東史朗他 第1巻 東日本編、第2巻 関西編1、第3巻 関西編2、第4巻 西日本編
この他、銘文を有する神像彫刻については、中央公論美術出版 日本彫刻史基礎資料集成平安時代造像銘記編及び鎌倉時代造像銘記編に収録 1966~2020(快慶作東大寺僧形八幡神、吉野水分神社玉依姫など)

ほとんどが専門書ですが、別冊太陽だけは一般書店で扱っています。執筆者は専門家であり、信頼できる内容です。福井八坂神社の十一面の女神や八坂神社の写真も掲載されています。また、現在最も詳しい神像彫刻の研究書は神像彫刻重要資料集成ですが、4冊のうち第2巻関西編1(京都・滋賀・福井)だけがまだ刊行されていません。(今回重文指定された福井八坂神社の女神と牛頭天王はこの巻に収録される予定。時期は未定)
https://www.kokusho.co.jp/np/result.html?ser_id=190

見たことのない神像彫刻で最も見てみたいのは、上記の国宝玉依姫命です。鎌倉時代中期の作ですが、まさに源氏物語絵巻や大河ドラマ光る君の世界から抜け出してきたようなお姫様です。しかし、専門家でも(存命の方は)ほとんど見たことがないそうですから、これは一生見ることができないと諦めています。以前は美術書にもよく掲載されていましたが、近年では専門書にも写真掲載が許可されていません(上記神像彫刻重要資料集成第2巻や日本彫刻史基礎資料集成鎌倉時代造像銘記編第7巻でも解説文のみで写真掲載は不許可)。

福井八坂神社の女神坐像出品の2013年東博大神社展パンフレットは下記URL。写真2枚目の右下に出ています。
https://stomo.jp/361344050-html/
また、同社の牛頭天王について、福井県の資料に「現存する作例のうち最も本格的な彫像で優れた出来映え」とありますが、今回の新指定文化財展示に先立って、上記の資料等で調べた平安・鎌倉時代の牛頭天王彫刻の作例としては、
京都朱智神社像(立像、平安時代11世紀)、大阪中仙寺像(坐像、平安時代12世紀)、島根鰐淵寺像(坐像、平安時代12世紀)、京都松尾神社像2体(ともに片足踏み下げの坐像、平安時代12世紀。嵐山の有名な松尾神社ではなく、南山城の松尾神社) の5体がありました。
松尾神社の牛頭天王像のうち、右足を踏み下げる方の像は昨年の東博南山城の仏像展に出品されています。福井八坂神社の牛頭天王像に最も近い像だと感じましたが、この小さな像と比べ、福井八坂神社の像がいかに優れていて本格的な作であり、保存もいいということを実感しました。牛頭天王の彫像として初めて重文指定されたのも納得できます。

③その他
ついでながら、新指定重要文化財で快慶作阿弥陀如来(三重県安楽寺)が展示されたことに関連し、現在東博で展示されている快慶(及び工房)作の行道面について触れておきます。

安楽寺の阿弥陀如来は快慶晩年(法眼銘)の作品ですが、この行道面は快慶の無位時代(巧匠アン阿弥陀仏銘を使った時代)の作です。兵庫県小野市の浄土寺に伝来したもので、ここは平氏の南都焼き討ちで焼失した東大寺を再建するための費用を集める基地の一つとして、東大寺大勧進職の重源上人が各地に設置した別所の一つ(播磨別所)です。国宝の浄土堂本尊阿弥陀三尊が有名ですが、その直後に作られた「迎え講の来迎具足」というものが現存していて、これは現在でも奈良の当麻寺や東京の九品仏で実施されている「練供養」に使うものです。神戸大学本浄土寺縁起という書物に「建仁元年1201に八尺阿弥陀と菩薩面27面を快慶が作った」ことが書かれています。この練供養の本尊として使う上半身裸形の阿弥陀如来については、奈良博の鹿園雜集23号(下記URL)に掲載されています。
https://narahaku.repo.nii.ac.jp/records/778

菩薩面は25面が現存し、東博に10面、奈良博に15面が寄託されています。東博保管の面のうち4面が本館1階14室で4/2~5/26に「行道面 ほとけを演じるための仮面」として展示され、残る6面は本館2階特別1室で5/21~7/7に「阿弥陀如来のすがた」として現在展示中です(10面全てが見られる期間は5/21~26の6日間だけでした)。展示リストは下記URL、面の番号が記載されています。
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=7698

面の番号はその1から25まで付けられていて、下記専門書によれば「その2や10が特に優れた作であり、快慶本人の作」とされています。東博の現在の展示ケース内では左から「その8、18、11、2、7、3」の順に並んでいます(ケース内に番号表示はなく、これは私が奈良博快慶展の図録と照合して確認したもの)。その2は今東博に出ていますが10は奈良博寄託品です。なお、2017年開催の奈良博快慶展では25面全てが出品されていましたが、じっくり観察している時間もなかったので、今回の10面展示がいい機会となりました。この図録や、快慶展の成果を受けて昨年刊行された「仏師快慶の研究」という7万円の本ではその2だけが大きく写真掲載され、その他の面は小さな写真なので、その2が代表作であると言えます。東博へ行かれるなら「その2」のつりあがった眉や眦、耳の形(対耳輪上脚の角度)などに快慶の特徴が出ていることを、上記鹿園雜集掲載の阿弥陀如来などの快慶作品と比べてみてください。そして、他の面との細かい差から、数人の仏師(一部は快慶工房以外?)の共同制作であることを実感してください。
なお、この面を扱った専門論文は仏教芸術306号2009年古幡昇子「兵庫・浄土寺菩薩面の制作者と造像背景―快慶・迎講・生身信仰―」だけしかないようですが、この中で著者は快慶作を3面、快慶風を5面とし、残りの17面については、それ以外の作者?とするか仏師名を示していません。これに従うと、現在東博で展示中の6面では「その18が快慶風」「その8、11、7、3はそれ以外の作者」ということになります。その2と18が近いこと(表情以外でも頭髪の彫り方など)、8、11、3は快慶とは少し違うことは実感できましたが、7も快慶風としていいのではないかと思いました。一方、上記「仏師快慶の研究」で奈良博の山口隆介氏は「1、16、20などにも快慶に近い作風が認められる」としています。1と20は古幡氏も快慶風としていますが、16は神奈川養命寺薬師如来に近い別の仏師としていて、専門家によっても作風からの作者判定はなかなか難しい問題のようです。

今回の新指定重要文化財(彫刻)については、大報恩寺六観音と地蔵菩薩の仏師判定の件とか伊豆南禅寺伝来諸像のうちの十一面観音を奈良時代と判定した件など、この他にも話題はいろいろありますが、長くなったのでこの辺にしておきます。
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Unknown (k-caravaggio)
2024-05-28 19:20:41
むろさん様
コメントありがとうございます。

 新指定国宝・文化財展示が京都に移転する可能性があるとは、想像したこともありませんでしたが、確かにそうですね。むろさんさんには及びませんが、私も2014年以降毎年行ってます。そうなったら寂しくなりますね。一方で、東京は恵まれ過ぎとも思います。

「候補作品を専門委員の方が実物を見て審議するために東京に集め」と記載いただきましたが、「審議」には違和感があります。文化審議会が大臣に答申した後の開催だからです(確認していませんが、官報告示や指定書交付は未了でしょうけど)。お披露目会以上のものではない気がします。

神像彫刻資料のご紹介ありがとうございます。
専門書は厳しいので、まずは別冊太陽を眺めたいと思います(地元図書館に予約済み)。

国宝《玉依姫命》、ネットで画像を見ましたが、魅力的ですね。東京で一般公開される奇跡があるならば、見逃さないようにします。仮に京博・奈良博であっても、短期の期間限定でない限り、そのように努めます。

東博の「阿弥陀如来のすがた」展示のご紹介ありがとうございます。夜間開館時の訪問を考えていますが、左から4番目の面をしっかりと見るつもりです。
 
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文化庁新指定重要文化財展示の件、神像彫刻、その他 補足 (むろさん)
2024-05-28 23:14:16
①新指定重要文化財展示
「専門委員が実物を見て審議するために東京に集め」の件、ちょっと誤解を招く表現だったかもしれませんが、文化審議会が大臣に答申する前の段階での委員による審議について書いたつもりです。当然東博での展示はお披露目会以上のものではありません。東博展示以降に官報告示や指定書交付が行われるので、それまではあくまで「指定予定品」ですが、東博展示以降にこの予定が覆ることはまずありません。昔あった永仁の壺贋作事件のようなことが起きて、東博展示を見たどこかの専門家が「これは贋作だ」という発表でもして、マスコミが騒ぐというようなことになれば、指定取り消しといった事態もあるかもしれません。

②神像彫刻
玉依姫命を見ることができるような奇跡は(少なくとも今後50年100年は)絶対に起こりません。寺で所有している神像彫刻の場合、例えば園城寺の新羅明神については50年前ぐらいまでは、一生見られないだろうと思っていましたが、1970年代ぐらいに横浜高島屋で黄不動画像、智証大師像2体とともに初公開されて以降、今までに数回公開されています。一方、神社が所有する神像彫刻では、「ご神体」としての扱いが尊重されるため、たとえ学術研究のためでも頑なに公開を拒んでいる場合があります。こういった神社では「文化財保護」という名目での調査や修理よりも、「朽ち果ててもいいから公開しない」という原則を貫いているようです。和歌山県南部の某神社や埼玉県南部の某神社の神像彫刻は過去には専門書に写真が掲載されたことがありますが、現在は掲載不許可となっており、これらについては上記コメントで取り上げた専門書等50年ぐらい前までに発行された本に出ている写真が今では貴重な資料です。こういった神像彫刻は、例えば明治時代の初期に法隆寺夢殿の救世観音が寺の反対を押し切って無理やり公開された時のような、時代の大きな変化とか人々の意識の変化といったことでもない限り、今の状況が変わることはないと思います。それまでには自分の寿命の方が先に来てしまうと思いますが。

③東博「阿弥陀如来のすがた」展示
浄土寺の菩薩面以外でも「足の裏に仏足文を表現する阿弥陀如来」が数点まとめて展示されています。足枘を作らず、像の底部に丸棒を立てて自立させる方式と合わせ、鎌倉時代初期の快慶・行快周辺から作られ始めた形式であり、仏足文を持つ阿弥陀をまとめて見ることができる機会ですから、こちらもお見逃しなく。
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Unknown (k-caravaggio)
2024-05-29 10:49:02
むろさん様
コメントありがとうございます。

 誤読しました。申し訳ありません。
 文化財分科会の第一専門調査会での調査時(本年は2/29〜3/2)には、開催場所である東博に候補作品を集めている、というような話ですね。
 
 東博の「阿弥陀如来のすがた」の見どころ追加情報ありがとうございます。夜間開館時の訪問を考えていましたが、時間が足りなそうなので、訪問計画を再検討します。
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阿弥陀如来のすがた展 (むろさん)
2024-06-04 23:10:34
東博の「阿弥陀如来のすがた」を改めて見に行かれるのなら、前コメントで取り上げなかった残る2体の阿弥陀如来坐像についても触れておきます。

一つ目は静岡県裾野市願生寺の阿弥陀如来。運慶作の神奈川県浄楽寺阿弥陀如来とよく似た像で、1984年の三浦古文化36号に山田泰弘氏(鎌倉国宝館)が紹介し、その後2003年の修理を機会に2006年のMUSEUM601号に浅見龍介氏(東博)が論考を書いています。なお山田氏は発見者としての思いのためか、「この像を運慶の真作として発表したかったが、諸事情から運慶に近い仏師の作と表記せざるを得なかった」ことを後の著書(三十三間堂護法神像の謎2016年創英社/三省堂)で不満を込めて述懐しております。浅見氏の論考では、1186年の運慶作伊豆願成就院阿弥陀では玉眼で上げ底式内刳りでないが、その後の1189年作浄楽寺阿弥陀では玉眼ではなく上げ底式内刳りであることがこの願生寺阿弥陀と同じであり、神奈川・満願寺観音・地蔵や曹源寺十二神将のような運慶に近いが運慶本人ではない仏師による作例と、この願生寺阿弥陀が近いこと、これらの作者には浄楽寺諸像の銘文に書かれた運慶工房の「小仏師」が担当した可能性が述べられています。
その後、研究の進展は特になかったのですが、近年鎌倉幕府草創期の御家人の研究が進むにつれ、この像にも再度光が当たるようになってきました。それは北条政子の父北条時政(初代執権)の後妻牧の方に関係する作品ではないかと考えられるようになってきたためです。Kさんは2022年のNHK大河ドラマ鎌倉殿の13人はご覧になっていましたか?この中で時政の後妻として女優の宮沢りえが「りく」という名で演じていたのが牧の方です。牧の方は先妻の子政子と同い年ぐらいで、以前は年の離れた時政をそそのかして、北条氏から娘婿に将軍職を奪おうとした悪女という認識でしたが、最近の研究では、時政が活躍できたのは牧の方の実家の京都での人脈のためとか、時政・牧の方失脚後も幕府や京都政界に存在感を示しているとか、政子没後も牧の方の娘や孫が政子の葬儀や周忌に参列していることなど、牧の方の果たした役割を見直そうという動きが盛んになっています。三代将軍実朝の妻に京都の貴族坊門信清の娘を迎えたことも、牧の方の娘の一人が坊門信清次男の忠清に嫁いでいるため、時政・牧の方夫妻の意向により実朝室を選んだと考えられます。時政が頼朝挙兵以前の1179年頃の京都大番役の時に、後妻牧の方をもらってきたのは、京都での人脈を広げる意図があったためと思われ、牧の方の側でも自分の親ほど年の離れた時政に嫁いだのは、今後武士の世の中が来る、東国がその中心になるという見込みがあったためかもしれません。そして、この願生寺阿弥陀については、芸術新潮2022年7月号「運慶と鎌倉殿の仏師たち」掲載の、金沢文庫瀬谷貴之氏と歴史家の野口実氏の対談「仏像から見る東国武士の社会」で取り上げられ、静岡県裾野という場所が牧氏の宗教的な本拠地であったことが述べられています。この辺についての本格的な論文はまだ出ていないようですが、運慶作浄楽寺阿弥陀如来と似たような作例がいくつか存在(関東で数点、西でも和歌山や兵庫に存在)する中で、この願生寺阿弥陀は鎌倉幕府の有力者と関係する可能性が出てきたという点で注目すべき像です。

二つ目は埼玉県宮代町の西光院阿弥陀三尊(現在の展示は阿弥陀のみ)。台座蓮弁に安元二年1176の年号が書かれています。以前から東博に寄託されていて、年に1回ぐらい三尊で展示されています。平安時代後期の制作年代が分かる定朝様の像としてよく知られた作品ですが、同時代の他の作例と比較して、ややひなびた感じがあり、この頃の関東地方の標準的な(あまり先進的でない)作例とされています。同じ安元元年~三年頃の銘を持つ都の作品として京都・大覚寺の五大明王(円派仏師の明円作)と奈良・円成寺の大日如来(運慶作)があり、これらとの比較で京都貴族が親しんでいた優美な作品、今後の鎌倉時代の到来を予告するような運慶青年期の革新的な作品という二つの作例と比べた時の東国のやや時代遅れの作品の様子が分かるものです。なお、これとほぼ同じ時期の作とされ、造像時に書かれた銘文ではありませんが後世の銘から同じ安元元年の作と推定されているのが、神奈川県證菩提寺の阿弥陀三尊で、最近の研究で三浦一族の岡崎義実ゆかりの像とされています。この像も西光院の阿弥陀三尊と比べるとかなり都風の作であり、都の仏師に依頼して作らせた像の標準的なものがどのようなものだったかが分かります。この像は神奈川県の博物館等ではよく展示されています。また、上記の芸術新潮にも(上記対談及び別項目に)掲載されています。
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Unknown (k-caravaggio)
2024-06-06 08:42:57
むろさん様
コメントありがとうございます。
「阿弥陀如来のすがた」鑑賞時の参考とさせていただきます。
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