ティツィアーノとヴェネツィア派展
2017年1月21日~4月2日
東京都美術館
会期終盤を迎えた本展を再訪する。
最後の訪問となるだろう今回は、ティツィアーノが西洋美術史上の巨匠であることを実感できる、次の3作品を専ら眺めて過ごす。
《フローラ》
1515年頃
ウフィツィ美術館
《ダナエ》
1544-46年頃
カポディモンテ美術館
《教皇パウルス3世の肖像》
1543年
カポディモンテ美術館
以下、《フローラ》について、図録の解説に基づき記載する。
2001年の国立西洋美「イタリア・ルネサンス:宮廷と都市の文化展」でも来日した作品。
たいへんな美人である。
記念講演会の際、本作品と隣展示のパルマ・イル・ヴェッキオ《ユディト》の図版が連続映写された。レベルの差が歴然。気の毒な事故であった、《ユディト》とその画家にとっては。
肌の質感、素早いタッチの白い衣装(当時「カミーチャ」と呼ばれていた、薄いリネン生地をたっぷりと使って襞を寄せ、襟元や袖口にレースをあしらった女性用の高級下着)の描写を観る。
注目したのは、肌や胸ではありません。
白い下着の襟の部分の細かい描写。単眼鏡で観る。大げさだが興奮する。凄い。
このフローラと呼ばれる作品に描かれた女性は、誰なのか。
1)当時ヴェネツィアに多くいたフローラという源氏名を持つコルティジャーナ(高級娼婦)の肖像説
2)フローラに扮した若い花嫁の婚礼用の肖像説
1)の説では、単純にパトロンの注文による説にとどらまない。コルティジャーナたちが注文し、商売繁盛の目的で宣伝ポスターとして利用された、という説もあるようだ。
2)の説では、花嫁となる婚約者を寓意的に表したもので、容貌も生き写しというわけではなく、理想化されたイメージ。成婚後は、夫婦の寝室に置かれた。子孫繁栄を祈念する意味も込められていた。となる。
どちらにせよ、巨匠と呼ばれるようになる前の、当時20歳代のティツィアーノが大変な手間をかけて制作した作品である。
本作は、1630年代にはオランダに所在したらしく、レンブラントが《フローラに扮したサスキア》を描く際、本作を参照したという。
レンブラント
《フローラに扮したサスキア》
1635年
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
↑ 複製の写真。
会場を出たところにある写真撮影コーナーの絵が、3/1から《ダナエ》に変更となっている。
実物を観た直後の複製は、残念な品質。
色々素晴らしい作品を見ることができましたが、私も特にティツィアーノの『フローラ』では、つややかな肌の質感が、柔らかい光に照らされて浮かび上がってくる美しさに感激しました。レンブラントの『フローラに扮したサスキア』も見ましたが、ティツィアーノとレンブラントのの美意識の違いが明確に表れていて、面白いですね。
私もこの美術展を見て、代表的な作品の魅力とヴェネツィア派絵画とフィレンツェやローマのイタリアルネサンスとの違いを考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。内容に対してご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。
コメントありがとうございます。
貴ブログを拝見させていただき、そちらにコメントさせてもらいます。