ロス・キング著、長井那智子訳
『クロード・モネ - 狂気の眼と「睡蓮」の秘密』
亜紀書房、2018年7月刊
一昨年(2022年)、書店で本書を見かける。4年も前に刊行されていたのに気付かなかった。
ロス・キング(英国在住の作家)の著書。
昔、『システィーナ礼拝堂とミケランジェロ』と『天才建築家ブルネスキ』を非常に面白く読んだことを思い出し、本書にも期待して購入。
しばらく放ったらかしにしていたが、2023年の「モネ-連作の情景」展を見たことを機に、読み始める。
モネの「睡蓮」大装飾画制作の物語である。
1914年4月、モネが、制作を決意するところから、死の翌年1927年5月にオランジュリー美術館にて公開されるまで(若干その後も)。
印象派のレジェンドとして広く認められ、経済的にも極めて恵まれている73歳から86歳に至る老画家に、波瀾万丈のストーリー展開があるわけではない。
制作の苦しみに加え、体調問題(白内障の進行など)、家族との死別、第一次世界大戦の勃発などがありながらも、12年の月日をかけて続けていく、凄いことではあるが、話のネタがそうあるわけではない。
(ちなみに、第一次世界大戦中も、作品寄贈計画のよしみで、政府から便宜を図ってもらい、生活上の不便はなかったようだ。 )
そこで、第二の主人公、モネの友人のクレマンソー。
政治家で首相経験者、しかも、この物語の途中、第一次世界大戦中の1917年から、終戦・ヴェルサイユ条約調印を経て、選挙で敗れる1920年まで、2度目の首相を務めた人物であり、こちらの方が物語になりそう。
本書では、政治家としての活動にもひととおり触れるけれども、難儀な性格の巨匠を叱咤激励し、いろいろな便宜も図り、制作促進に奮闘する役割で描かれる。
本書で初めて認識したのは、松方幸次郎のモネ本人からの作品購入に関する状況。
松方コレクションには、33点のモネ作品があり、うち15点+αがモネ本人からの購入と考えられている。
松方がモネ本人から購入したのだから、モネは他のコレクターに対しても結構作品を売却しているのだろうと思いこんでいたが、実は、松方は特別な存在であったらしい。
本書での松方に関する記述は、他に触れられる数人程度のコレクターに比べると、ずいぶんの分量。
売却点数も多いが、なによりも「大装飾画」の関連作品を売却している。
制作中の「大装飾画」とその関連作品は、自宅への訪問者たちには嬉々として見せているようだが、一般には秘密裡のプロジェクトで、ましてや作品売却をしなかった。
その例外が松方。しかも2点も売却。
国立西洋美術館が所蔵する2点、同館の箱入り娘《睡蓮》と、破損が痛々しい大画面《睡蓮、柳の反映》である。
モネが日本びいきであったこと、松方の日本での美術館建設構想に賛同したこと、なにより松方の金払いが極めて良かったこと(尋常ではない程度相場を上回っていたらしい)があるようだ。
1923年、関東大震災の大惨事は、フランス国民を、同情と慈善活動に急きたてる。
1924年1月4日、パリのジョルジュ・プティ画廊にて、関東大震災の犠牲者のための展覧会が開幕する。
ロダン美術館の館長で、松方のパリにおける作品購入のアドバイザーまたは代理人であった、レオンス・ベネディットの企画。
「クロード・モネ 日本の震災犠牲者のための展覧会」と名付けられ、60点以上展示されるモネの個展である。
展示作のなかには、ロダン美術館に保管されていたのであろう松方の所蔵作品も含まれていた。
モネはこの展覧会に驚く。
ベネディットから何も聞かされておらず、開幕の僅か数日前に知ったらしい。
モネが激怒したのは、同展にて、松方が所蔵する「大装飾画」の関連作品2点を公開しようとしていることであった。
モネはベネディットに書き送る。
私に知らせずに、この展覧会を決めたのは、私に対する義務を怠ったということだ。もちろん、私がそれを断るだろうということではなく、とりわけあなたにお願いしたいのは、理由はわかると思うが、二点の装飾画を展示しないでほしいということだ。
この公開は、うまくいけばこの春にも実現する大装飾画の一般公開(実現しなかったが)を先取りするものになってしまう。
モネは、2点のうち、とりわけ大画面《睡蓮、柳の反映》 - 大装飾画の一部を成す作品の習作 - を外すことを求める。
各所からの仲介もあり、《睡蓮、柳の反映》 は、当初は展示された(そのとき、上下逆さまに展示されたらしい)ものの、途中から撤去される。
もう1点、箱入り娘の《睡蓮》は、閉幕日1月18日まで展示されたようである。
モネの意に反し、秘密裡に進めてきたプロジェクトの関連作品が一般公開され、記事にも取り上げられる。記事は好意的であったようである。
今日は、同展の開幕からちょうど100年。
同展のもう少し詳細な内容・結果も知りたいところ。