あやしい絵
2021年3月23日〜5月16日
(臨時休館:4月25日〜5月11日)
東京国立近代美術館
一部作品を除いて撮影可能の本展。
そこで、2章4「表面的な「美」への抵抗」の岡本神草および甲斐庄楠音の出品作の画像を掲載する。
岡本神草(1894〜1933)
2018年の千葉市美術館「岡本神草とその時代展」で初めて知った画家。
制作に時間をかける寡作の画家であったこと、38歳の若さで急逝したこともあり、現存する大型の本画の完成作は3〜4点で、中小型の完成作の数も多くはないという。
本展では、神草の代表作が出品されている。
【前期】2点
岡本神草
《拳を打てる三人の舞妓の習作》
大正9年、京都国立近代美術館
神草は、「拳を打てる三人の舞妓」の本画制作に3度取り組んでいる。
1度目は、1919年、第2回国画創作協会展(国展)に出品すべく制作を進める。母親の突然の訪問により中断、結局断念する。この未完成版は京都国立近代美術館が所蔵する。
2度目は、翌1920年、第3回国展に出品すべく制作を進める。またも締切までに作品を完成させることができない。
「朝断然不可、切断 夜急遽上京」
神草は、画面中央のほぼ完成していた舞妓の部分だけを切り取って、国展に出品する。
切断された残りの部分が1987年に遺族の元で発見され、中央部分と合体された。これが本展出品作。
3度目は、翌1921年、今度は完成させる。国展は一時休止されたためか、第3回帝展に出品し入選。この完成作は現在所在不明で、図版のみで知られている状況。
前期のもう1点の出品作は、撮影不良により省略。
岡本神草
《仮面を持てる女》
大正11年、京都国立近代美術館
【後期】2点
岡本神草
《口紅》
大正7年、京都市立芸術大学芸術資料館
神草は、1915年に京都市立美術工芸学校絵画科を卒業し、京都市立絵画専門学校に進学する。
1918年、その卒業制作として制作したのが《口紅》である。が、卒業時点では未完成の状態で、その後完成させ、その年の第1回国展に出品、注目を集める。
このとき、甲斐庄楠音《横櫛》✳︎と樗牛賞を競い合う。村上華岳が推す楠音の《横櫛》と、土田麦遷が推す神草の《口紅》。両者譲らず最終的には竹内栖鳳の裁定で、金田和郎の《水蜜桃》が受賞する。
✳︎このときの楠音《横櫛》は、本展出品作とは別のバージョン。後述。
ろうそくの薄明かりで化粧を直す舞妓。熱中し、周りを気にしていない様子。赤い下唇、小さい歯、カラフルな筆、えらく細い腕。いきなり画業最高傑作を誕生させてしまった感。
岡本神草
《骨牌を持てる半裸女》
大正12年頃、京都国立近代美術館
ダイヤのエースを持つ女性。
甲斐庄楠音(1894〜1978)
1997年の京都国立近代美術館「大正日本画の異才一いきづく情念 甲斐庄楠音展」展、1999年の千葉市美術館「甲斐庄楠音と大正期の画家たち」展と、回顧展が開催されているようだが、私は見ていない。各種展覧会で作品1〜数点を見て、その強烈なあやしさが印象に残っているところ。
楠音は、岡本神草と同じ年で、同じく京都市立美術工芸学校(1908〜12)→京都市立絵画専門学校(1912〜17)で学ぶ(入学卒業年度は異なるが在籍期間が一部重なっている模様)。
1918年の国展での《横櫛》で一躍注目を浴びる。しかし、国展の中心人物である土田麦僊との軋轢(陳列を拒絶されるなど)や、国展自体の解散、その後活動の場とした新樹社の自然消滅などが重なり、次第に画壇からは遠ざかる。
1941(昭和16)年頃から活動の場を映画に移し、溝口健二監督のもと衣装・時代・風俗考証家として活躍する。1956(昭和31)年の溝口の没後、再び絵筆を執るが、往年のように画壇で活躍することはなかった。
【通期】2点
甲斐庄楠音
《横櫛》
大正5年頃、京都国立近代美術館
本展のメインビジュアル。
楠音は《横櫛》を2バージョン制作しており、本作は第1作。
1915(大正4)年、楠音21歳のとき、東京の長兄楠香を訪ねた際、兄嫁の彦子らともに、本郷座で、四代目沢村源之助が「切られお富」を演じる河竹黙阿弥作の歌舞伎「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」を観る。その後、京都・南座でも観る。その前後、彦子が他界する。
翌1916年、「処女翫浮名横櫛」の印象をもとに、彦子をモデルとして《横櫛》を一週間で描き上げる。
第2作は、1918(大正7)年の制作。村上華岳の勧めにより、第1回国画創作協会展(国展)に出品し、岡本神草《口紅》と樗牛賞を争い、注目を集める。
この第2作は、その後楠音自身の手により改変されたため、今の姿の第2作よりも第1作の方が、国展出品時の第2作の雰囲気を残していると言われている。
現在広島県立美術館が所蔵する第2作は、大阪会場に出品(前後期で第1作・第2作展示替え)予定。
参考)《横櫛》第2作、大正7年、広島県立美術館
甲斐庄楠音
《畜生塚》
大正4年頃、京都国立近代美術館
194×576cmと本展では最大サイズの大型八曲一隻屏風。
謀叛の疑いをかけられ自害させられた秀次。その妻妾や子、侍女ら30余人が市中引き回しのうえ、三条大橋のたもとで処刑され、秀次と共に埋められた史実に取材したもの。未完の作。
【前期のみ】3点
甲斐庄楠音
《舞ふ》
大正10年、京都国立近代美術館
甲斐庄楠音
《幻覚(踊る女)》
大正9年頃、京都国立近代美術館
甲斐庄楠音
《裸婦》
大正10年頃、京都国立近代美術館
【後期のみ】3点
甲斐庄楠音
《春宵(花びら)》
大正10年頃、京都国立近代美術館
甲斐庄楠音
《毛抜》
大正4年頃、京都国立近代美術館
甲斐庄楠音
《母》
昭和2年、京都国立近代美術館
以上、岡本神草4点、甲斐庄楠音8点。
ほかに、北野恒富、25歳で早世した稲垣仲静、島成園、梶原緋佐子、秦テルヲなど、強烈/デロリな作品群が並ぶ展示室は、作品数以上の濃厚度であった。