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種痘の発明者《ジェンナー像》 - 東京国立博物館・野外展示

2021年09月06日 | 東博総合文化展
   東京国立博物館の野外展示。
 
   種痘を発明したイギリス人の医師、ジェンナーの像です。明治29年(1896)種痘の発明100年を記念して、大日本私立衛生協会が制作を依頼したもので、高村光雲の弟子、米原雲海の作品です。台座にはめ込まれた碑文には、漢字で「善那」と書かれています。
 
 
   イギリスの医師エドワード・ジェンナー(1749〜1823)。
   牛の乳搾りの女性は、天然痘が流行しても罹らない。
   この経験則をきっかけに長年研究を続けた牛痘ワクチンを、初めてジェンナー家の使用人の8歳の息子に対して治験し、その効果が確認されたのが1796年のこと。
 
 
   それから100年となる明治29(1896)年に、大日本私立衛生協会が東京美術学校に制作を依頼。
   木彫科の高村光雲を制作主任として、実際の制作は助手の米原雲海(1869〜1925)が担当し、翌30(1897)年に木彫の原型(現在東京芸術大学所蔵)が完成。
(制作期間中の明治29年11月〜翌年2月、天然痘が大流行し、1.6万人が亡くなっている。)
   その後(時期不明)青銅像が完成。台座の銘板によると、明治37(1904)年6月に帝室博物館の傍に建立したという(その場所は不明)。
 
 
   昭和6(1931)年に表慶館の後の広場に移され、昭和54(1979)年に正門から入ってすぐ右手にあるイイギリの大木の下という現在の場所に移築される。
(参照)
 
 
   この青銅像は、120年近く、東博にて野外展示されていることとなる。
 
 
 
 
 
   明治時代には6度の大流行を記録した天然痘も、明治42(1909)年の種痘法による種痘接種の定着化等より次第に落ち着いてくる。
   
   種痘接種と聞いて思い出す作品(実見したことはない)。
 
太田聴雨(1896〜1958)
《種痘》 
1934年、京都市京セラ美術館
 
   女性をテーマに、現代風俗を取り入れた作品に取り組んでいた日本画家による、昭和9(1934)年の制作。
 
 
 
   戦後直後の大流行はあったものの、昭和30(1955)年を最後に日本国内では確認されなくなる。世界で根絶に向けた取組みが進む。
   そんななか、種痘接種による重篤な副反応が問題視されるようになる。
 
 
   昭和47(1972)年3月26日、奈良県明日香村の高松塚古墳壁画の発見が公表される。
 
 
   翌27日の朝日新聞(東京版)朝刊の一面、高松塚古墳の記事の下。
 
「種痘を任意制に」
「昭和50年ごろメド   厚生省が方針」
   他紙ではこちらのほうが一面トップであったようである。
(参照)山下裕二著『日本美術の20世紀』晶文社、2003年刊
 
   実際に種痘予防接種の義務化が廃止されるのは、昭和51(1976)年、この記事の4年後のことである。


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