(メモ)スタンダールが見たカラヴァッジョ
『イタリア絵画史』1817年
吉川逸治訳、「スタンダール全集9(新装版)」人文書院、1978年刊
ラファエロやアンニバル・カラッチやティツィアーノは、広大な自然の分野のなかで彼らの知覚する種々様々の効果相互間の比例を、より多くの尊敬をもってとりあつかっているに相違なく、そのゆえに、より深い感動をあたえるのである。ところが反対に、ミケランジェロ・カラヴァッジョやバロッチョは、偉大な画家ではあるが、前者は陰影の力を誇張し、後者は色彩の光輝を誇張したがゆえに、永遠に第一流の位から遠ざけられた。
『イタリア旅日記2 ローマ、ナポリ、フィレンツェ(1826)』1827年
臼田紘訳、新評論、1992年刊
ミケランジェロ・ダ・カラヴァッジョはおそらく人殺しだった。しかしながら僕はたいそう評価されているグルーズ氏(補足)の下手な絵よりも、こんなにも力にあふれたかれの絵の方が好きだ。韻文、音楽、色彩、あるいは散文によって、僕を楽しませてくれようとする人の、道徳上の美点など僕にとって大したことではない。嘲笑される作家は、いつもその名誉が攻撃されると叫ぶ。えっ、ムッシュウ!あなたの名誉が僕にとってどうだと言うんです。僕を楽しませ、色々と教えてくれるように努めなさい。
『ローマ散歩 1・2』1829年
臼田紘訳、新評論、1996年・2000年刊
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
主祭壇画の右手にある祭室の絵は、アンニーバレ・カラッチのものである。『聖母被昇天』だ。隣の二枚の絵はミケランジェロ・ダ・カラヴァッジョの作品である。この大画家は極悪人だった。
ボルゲーゼ館
✳︎言及なし。
ラファエロ《十字架降下》、ドメニキーノ《ディアーナの狩り》《クマエの巫女》、ティツィアーノ《天上の愛と俗界の愛》などに触れている。
ドーリア館
✳︎言及なし。
クロード・ロラン、ガロファロ、アンドレア・デル・サルト、アンニーバレ・カラッチやベラスケス 《インノケンティウス10世の肖像》に触れている。
《キリストの埋葬》?
カムッチーニ騎士殿は見事な複製を作るのにかなりありふれた才能を持っている。イタリア軍の勝利によって、ミケランジェロ・ダ・カラヴァッジョのたいそう精力にあふれた作品『十字架降下』かローマから奪われたとき、カムッチーニ氏はたった27日で、芸術の資料としては称讃すべきその複製を作った。しかも受難の表現をあまり薄めていなかったものだった。
サン・タゴスティーノ教会
入って左手の最初の祭室に、ミケランジェロ・ダ・カラヴァッジョのすばらしい作品がある。この男は人殺しだった。しかしかれの性格のエネルギーは、かれの時代にカヴァリエーレ・ダルピーニの評判を高めたあの間の抜けた貴族的な類のものにかれが陥ることを防いだ。カラヴァッジョはその手のものを消そうとした。莫迦ばかしい理想に対する嫌悪感から、カラヴァッジョは、かれが街で引き止めてポーズを取らせたモデルについて、いかなる欠点も直さなかった。ベルニーニでは、注文主から醜すぎるとして断られた絵を僕は見た。醜の支配する時代は到来していなかった。
✳︎本教会については、ラファエロ《予言者イザヤ》の紹介に力を入れている。
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
聖マタイの祭室にあるミケランジェロ・ダ・カラヴァッジョの二枚の絵の人物たちは、百姓たちで、粗野だがエネルギーがある。
✳︎本教会については、ドメニキーノのフレスコ画の説明に力を入れている。
スタンダールの時代、カラヴァッジョは、その存在・作品の認識がなされていて、評価もされていたようであるが、重要な画家としては考えられていなかったようである。
スタンダールの時代には、パンテオンに鐘楼があった。
17世紀、イタリア・バロックの巨匠ベルニーニが付け加えた。しかしながら、評判がよろしくなかったようで、1883年に撤去されたとのこと。
(補足)
ジャン=バティスト・グルーズ(仏の画家、1725〜1805)
代表作の一つが《壊れた甕》ルーヴル美術館蔵。スタンダールが日記を記した当時、故人だった。