2024年4月。
日本の西洋美術展史上最大の事件、レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》の来日から満50年を迎える。
モナ・リザ展
1974年4月20日〜6月10日
東京国立博物館
入場者数:1,505,239人
1日あたり入場者数:30,719人(会期49日にて計算)
その入場者数は、日本の美術展史上第1位(単館ベース)。
開幕日のスプレー噴射事件から始まった本展。
最終日の入場者数は31,120人を記録したらしいが、意外にも1日あたり入場者数平均と大差ない。
最終日が最も入場者数が多いとは限らないが、開幕日からずっと上限値に張り付いた状態が続いたのではと想像される。
【NHKアーカイブス】
【追記:読売新聞】
私が《モナリザ》を見たのは、初めての海外で西ヨーロッパを旅行したとき。
私と同時期にルーヴル美術館に行った知人が興奮気味に話したことを今でも覚えている。
みんな《モナリザ》ばかりに集まって。
同じ部屋の《聖アンナと聖母子》も素晴らしいのに。
誰もいなくて、かぶりつきで見た。
私も《聖アンナと聖母子》の『聖アンナの足許の小石のあいだに、解剖学的興味からレオナルドが実際に観察して知った胎児の姿が描かれている』らしいのを探した記憶は残っているが、《モナリザ》のことは全く印象に残っていない。
その後《聖アンナと聖母子》は修復されて、ずいぶん明るい画面となったようである。
今も、かぶりつき鑑賞を期待できる環境にあるのだろうか。
2024年4月は、《モナ・リザ》来日50年のほかにも、日本の西洋美術展史に残る展覧会の記念年にあたる。
1964年:《ミロのヴィーナス》来日から60年
ミロのビーナス特別公開
1964年4月8日〜5月15日
国立西洋美術館
入場者数:831,198人
1日あたりの入場者数:21,874人(会期38日間)
1984年:フェルメール《真珠の耳飾りの少女》初来日から40年
マウリッツハイス王立美術館展
1984年4月24日~6月10日
国立西洋美術館
入場者数:152,360 人
意外なほど小さい入場者数の値から見て、当時それほど話題にはならなかったようだが、その後の来日では、一大ブームを起こしている。
2度目の来日
フェルメールとその時代
2000年4月4日~7月2日
大阪市立美術館
入場者数: 590,008人
3度目の来日
マウリッツハイス美術館展
2012年6月30日~9月17日
東京都美術館
入場者数:758,266人
1994年:「バーンズ・コレクション展」閉幕から30年
バーンズ・コレクション展
1994年1月22日〜4月3日
国立西洋美術館
入場者数:1,071,352人。
1日あたり入場者数:17,279人(会期62日間)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー、オルセー美術館、国立西洋美術館と巡回した本展は、その後も、テキサス州フォートワース、カナダ・トロント、バーンズ財団の「地元」のフィラデルフィア、ドイツ・ミュンヘンと巡回。各地で熱狂的に受け入れられたようだ。
ミュンヘンでは、会期最後の3日間、24時間開館したらしい。
(24時間開館なんて、日本では聞いたことがない。最終入場時刻(閉館時刻の30分前が多い)までに待ち行列に並べば、何時になるかは別としてともかく必ず入場できる、というのは聞いたことがあるけど。)
2004年:フェルメール《画家のアトリエ(絵画芸術)》来日から20年。
栄光のオランダ・フランドル絵画展
ウィーン美術史美術館所蔵
2004年4月15日~7月4日
東京都美術館
入場者数:303,491人
これまで挙げた展覧会と比べるとインパクトはそれほどでもないかもしれないが、フェルメール作品の来日10作目にして、最大級かつ複雑な寓意画の来日は、私的には大事件。
2014年4月は、東京都美術館の「バルテュス展」が開幕している。
2024年4月は、大型の西洋美術展としては、私の認識する範囲では、東京都美術館の「デ・キリコ展」が開幕する予定。
教科書で見たモナリザと違い若い可愛い
女性だなと思いました。その後ルーブルで見ました。
小学生の息子を送り出し自分も上野まで行き帰って来たら息子達は家にいました。
ミロのビーナスは長男がお腹の中にいるとき和服で行きました。並んで日に当って
塩沢紬が日焼けして母に叱られした。お陰様で懐かしい昔を思い出しました。
コメントありがとうございます。
強子様の東京モナ・リザ物語をお教えくださり、ありがとうございます。
予定より家に戻るのが遅くなるほどの長い待ち行列だったのですね。