気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

今朝アンダンテの朝のミーチングに参加したところ、河馬は躁病の治療に専念すべしとのご託宣を受けた。

2014-11-13 10:21:55 | 日記
 朝10時からの浅香山病院付属サポートハウスアンダンテのおはようミーチングに参加した。
久々の参加だったのでミーチングの司会をやらされた。カンペ通りの挨拶と質問をする司会者
だが、アドリブを入れすぎて、皆からクレームがきた。
 まだ症状が治まっていないとみなされ、メンバーの大橋さんから治療に「専念しなさい」との
ご託宣を受けそれが本日の言葉となった。

河馬至福と恍惚の時。それは鼻くそをホジル時、ドキドキのその一瞬。

2014-11-10 21:32:30 | 日記
鼻くそをホジル時河馬の脳は完全に弛緩し、最高にリラックスした状態にある。
すなわち無の境地でひたすらに快感とエクスタシーを求める行為が河馬の鼻くそホジリである。
さてさて、それはどのような行為であろうか?
第一にそれは人差し指と鼻腔の共同行為である。

勿論鼻くそホジリは鼻が詰まった時にやるのが基本だが、長い間に、リラックスの手段として、何時の頃からか鼻に指先を入れるのが習慣となった。

先ず鼻に人差し指を入れて、指先の微妙な感覚で鼻腔の鼻くそに連なっているはずの粘液を捉える。それを鼻腔の外へ、外へと引きずり出す。この時の鼻腔が感じるズル、ヌルとした感じが堪らなく心地良い。
ズルヌルで本体の鼻くそ君が動いてくれれば呆気ない闘いとなるが、鼻くそ君は頑強に鼻腔粘膜に張り付いて、そう簡単には動いてくれない。
そこで繰り出す戦術が粘膜引き剥がし作戦である。

鼻くそ君の周りの透明で粘度の低い粘液から順次粘度の高い粘液に指先の微妙な感覚を頼りに鼻の外へ引きずり出すのである。この時の粘膜が引きずられる感じが鼻腔の感覚と指先の感覚で、すでに至福の境地で、快感である。その時河馬の目は瞼を半眼に開き、目線は虚空を漂い 、ただ快感に身を任せてひたすら粘液を掻き出す。
指先にまとわりつく粘液が次第に濃くなると鼻くそ君が揺らぎだし、鼻腔から離れるのが感じられる。

粘った粘液を指先が捉えた瞬間、一気に指先の運動を加速する。
すると直径3mmばかりの塊を指先の上に載せ強引に引き剥がし、引きずり出す。
 成功したならば、鼻腔の空気の通りは清々しく良くなって、まるでミントの香りの中にいる錯覚を覚え、鼻くそ君が鼻腔本体から離脱した瞬間、めくるめきエクスタシーに襲われ、呆然となる。
あとは沙羅双樹の花の下にいるような達悟の世界に入るのみ。

河馬の遺影の前に飾ってあるのは、愛用の電腱(Key)とジーメンス社製火花発信器。愛飲の煙草。

2014-11-10 19:30:27 | 日記
訃報 人間河馬は日露戦争のバルチック艦隊との日本海海戦において旗艦三笠に通信兵として乗務中、敵彈の破片を頭に受け名誉の戦死を遂げたものである。
以来代々河馬家の長男は頭がおかしい。

しかし、かの有名な電文
「テキカン ミユトノ ホウニ セッシ テンキセイロウナレドモ ナミタカシ コウコクノコウハイ コノイッセンニアリ ソウイン イッソウフントウドリョクセヨ」の電文は三笠船上より広島大本営に発っせられたものであるが、この電文を送信した者こそ誰有ろう、河馬家のご先祖さま河馬河馬太郎である。

歴史にもしもと言う事はないが、もし日本海海戦に日本連合艦隊が当時世界一と歌われたバルチック艦隊に敗れていたら、日本近海の制海権をロシアに奪われ、東京湾にでも侵入され、皇居と言わず東京が砲撃にさらされるような事があれば為すすべがなかっただろう。
そして今頃河馬らはロシア語を話していただろう。