会計士の肖像 奥山会計事務所 日本公認会計士協会 相談役奥山 章雄(要無料登録)
日本公認会計士協会元会長の奥山氏へのインタビュー記事。
2001年から3年間会長を務め、その後、中央青山に戻り、理事長になった人です。
中央青山に戻ってからの話。
「言葉どおり息つく暇もない3年間を過ごした奥山は、04年7月、任期満了で退任し、古巣に戻る。そこは、職員4500人を擁する業界最大手の中央青山監査法人となっていた。翌05年5月、今度はその理事長となるのだが、待っていたのは青天の霹靂としか言いようのない事態だったのである。
法人に戻って、さて自分はここで何をやるべきか、と考えながら内部資料を眺めたりしていたんですね。そうしたら、監査の品質という点から、気づいたことがあった。全国にヒアリングに入ってみたら、案の定、監査のやり方を全面的に見直さないとまずいのではないか、という状況が蔓延していたわけです。ひとことで言えば、対象の会社をいろんな方向から見るような、深い監査ができていませんでした。
その危機感を研修会で訴えたところ、「では、お前が改革の先頭に立て」と。それで、選りすぐりのメンバーを集めて具体的なプランを固め、体制も整えて、さあ実行、というタイミングでした。東京地検特捜部がカネボウの粉飾決算に関与したとして、中央青山の会計士4人を逮捕したのです。理事長に就任して、2カ月後のことでした。
特捜部は、私の自宅にも家宅捜索に来ました。でも、直前まで協会の仕事にかかり切りだったのだから、何も出るはずがありません。恐らく〝悪事を働いた組織の親分〟のところを調べています、という地検の社会に対するアピールだったのでしょう。
事件は、監査担当責任者が刑事事件に問われるという、法人にとって厳しい結果になりました。しかし、そもそも監査人が一人罪を問われるような性格の事件だったのか。06年5月、金融庁が法人に2カ月の業務停止命令を出したことなども含め、今でも言いたいことは山ほどあります。
ただ、自分自身のことを顧みると、やはり外にいすぎたのかな、という思いもありました。もう少し足元に気を配るべきだったかもしれない、というのは私の反省です。」
もう誰かに忖度しなければならないような立場ではないでしょうから、山ほどある言いたいことをもっと言ってほしいと思います。
2000年前後の奥山氏と、その前の中地氏が会長だった時期は、このインタビューでもふれているように、会計基準や監査基準が大きく変わり、財務会計基準機構(FASF)が設立されるなど、制度も変わっています。協会もそういう動きを支えたのでしょう。評価すべき業績のある人だと思うのですが、事件に巻き込まれてしまったのは気の毒です。