二つ前の吊革ネタの先週土曜、息子とでんしゃさんぽのついでに新宿ニコンサロンへ。プロの部の各賞受賞者は、北島敬三、Ying Ang、古賀絵里子、笹岡啓子。
北島のIsolated Placesは、作家と作品が今まで結びついていなかった。鉛直方向の線がぴしっと入り色味をおさえた壁面と地面の幾何学的な空間の列が、迫力あるモノクロスナップとか白シャツのポートレートと同じ作家によるものかと意外な感じ。たいていの画面に「隅っこ」が写っているところに、長瀬さんの空き地を連想する。「21世紀の日本を急速に浸潤し、覆うようになった「顔と名前を失った風景」への覚醒」…20世紀の風景には顔と名前があったのか?と疑問を呈してしまうが、名もなき風景への覚醒という面では共感が持てる。見入るほどに、その場に行ってみたくなる。あるいは、ほのかな既視感に親しみを覚えたり。「今の日本のどこにでもある風景だが、私たちがその場所に気づくことはない。そこは履歴を忘れ、行く先を見失った"ISOLATED PLACES"だ。」と言われると、逆に、履歴を記憶し行く先を強く指向している場所ってどこ?、つい思ってしまう。欧米の都市のような(?)昔も今も変わらぬ街並みとか。
笹岡の津波に流された街の風景。瓦礫や流された建物の中身が散乱している段階、それらが取り払われ、建物の基礎だけが整然とある段階、それらが草に覆われ一見もとの土地利用が推し量れない段階。さきほどの「履歴を記憶し行く先を強く指向している場所」に、これらも当てはまるのではないか、なんてね。ここ2年、テレビや新聞で見慣れてしまった風景ではあるが、クライマックス性を排した落ち着いたトーンの画面は、作家とともにそこに立ち、ともに眺めているように錯覚させる。