コリント人への手紙第2 1-6章 解説
この手紙の著者はパウロです。
(1:1,10:1)
コリント第1の手紙を書いたのち,
1年以内56,57年ごろ
マケドニア(現在ギリシャ)で,
書いたものと思われています。
コリントは港町,
交通の要衝として栄えた町で,
パウロがアクラとプリスキラという
熱心なユダヤ人の
クリスチャン夫婦と共に
この町に教会を作りました。
その信徒へ宛てた2通目の手紙です。
問題が発生したコリント教会を
何とかして解決をしようと,
パウロが涙ながらに書きました。
○
1章
慰め
(2コリント1:4)
「神は,
どのような苦しみのときにも,
私たちを慰めてくださいます。
こうして,私たちも,
自分自身が
神から受ける慰めによって,
どのような苦しみの中にいる人をも
慰めることができるのです。」
神は,
わたしたちを慰めてくださいます。
パウロは,苦しみを通して,
神に慰められました。
ですから,
パウロはどのような
苦しみの中にいる人をも
慰めることが出来るといいます。
○
復活の神に頼む者
(2コリント1:9)
「ほんとうに,
自分の心の中で死を覚悟しました。
これは,もはや自分自身を頼まず,
死者をよみがえらせてくださる神に
より頼む者となるためでした。」
パウロは,
自分の力では
頼れない体験をとおして,
神に希望を見出します。
○
心に聖霊を受ける
(2コリント1:22)
「神はまた,
わたしたちに証印をおし,
その保証として,
わたしたちの心に
御霊を賜わったのである。」
神が与える証印は聖霊です。
その心にある聖霊は
救いの保証となります。
○
信仰
(2コリント1:24b)
「あなたがたは,
信仰に堅く
立っているからである。」
イエス・キリストへの
信仰によって,
イエスのなされた
恵みのすべてを受けます。
○
2章
キリストの香り
(2コリント2:14)
「神はいつでも,
私たちを導いてキリストによる
勝利の行列に加え,
至る所で私たちを通して,
キリストを知る知識のかおりを
放ってくださいます。」
当時,征服者は捕虜をつれて,
勝利の行進をして帰ってきました。
この例を取り上げて,
わたしたちはキリストと共に,
行進していくのだといいます。
○
赦し,慰める
(2コリント2:7-9)
「あなたがたはむしろ彼をゆるし,
また慰めてやるべきである。
そうしないと,
その人はますます深い悲しみに
沈むかも知れない。
そこでわたしは,
彼に対して愛を示すように,
あなたがたに勧める。
わたしが書きおくったのも,
あなたがたがすべての事について
従順であるかどうかを,
ためすためにほかならなかった。」
教会を困らせた人を,
赦しなさいといいます。
○
3章
心に刻まれた言葉
(2コリント3:3)
「あなたがたが私たちの
奉仕によるキリストの手紙であり,
墨によってではなく,
生ける神の御霊によって書かれ,
石の板にではなく,
人の心の板に
書かれたものであることが
明らかだからです。」
モーセに与えられた
言葉である十戒は,
石の板に書かれました。
イエス・キリストから
与えられた言葉は,
信仰をもつ
すべての人の心に刻まれます。
○
新しい契約
(2コリント3:6)
「神は私たちに,
新しい契約に仕える者となる
資格をくださいました。
文字に仕える者ではなく,
御霊に仕える者です。
文字は殺し,
御霊は生かすからです。」
「新しい契約」とは,
キリストの血によって,
信じる者は救われという福音です。
イエス・キリストを信じることは,
御霊に仕えるものであり,
霊の死から,
生き返らしてくださいます。
○
栄光から栄光へ
(2コリント3:16-18)
「しかし,人が主に向くなら,
そのおおいは取り除かれるのです。
主は御霊です。
そして,
主の御霊のあるところには
自由があります。
私たちはみな,
顔のおおいを取りのけられて,
鏡のように主の栄光を
反映させながら,
栄光から栄光へと,
主と同じかたちに
姿を変えられて行きます。
これはまさに,
御霊なる主の働きによるのです。」
イスラエルの人々は,
神を直接見ることは
できませんでした。
(出エジプト34:34)
「しかし
モーセは主の前に
行って主と語る時は,
出るまで
顔おおいを取り除いていた。
そして出て来ると,
その命じられた事を
イスラエルの人人に告げた。」
モーセが幕屋で
神の前に出るときは,
顔の覆いを取り除いて
神を直接見ることができました。
わたしたちが
イエス・キリストを信じ,
御霊に従うなら,神に会い,
神の姿に変えられ,
栄光を反映することができます。
○
主の霊
(2コリント3:17,18)
「主は霊である。
そして、主の霊のあるところには,
自由がある。
わたしたちはみな,
顔おおいなしに,
主の栄光を鏡に映すように見つつ,
栄光から栄光へと,
主と同じ姿に変えられていく。
これは霊なる主の
働きによるのである。」
わたしたちは,
「神の栄光」を受け,
「主と同じ姿に変えられる」
のです。
わたしたちが再臨の主に
会うことによって完成します。
○
4章
土の器
(2コリント4:6)
「私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。」
パウロが宣べ伝えたのは,
「土の器」
-すなわち自分-ではなく,
「宝」
-すなわちキリスト自身また福音-
です。
○
イエスのいのち
(2コリント4:11)
「私たち生きている者は,
イエスのために
絶えず死に渡されていますが,
それは,
イエスのいのちが
私たちの死ぬべき肉体において
明らかに示されるためなのです。」
神のために生きるには,
自分に死ななければなりません。
○
イエスと共に復活
(2コリント4:14)
「主イエスをよみがえらせた方が,
私たちをも
イエスとともによみがえらせ,
あなたがたといっしょに
御前に立たせて
くださることを
知っているからです。」
わたしたちの「死の体」は
永久に生きることは出来ません。
キリストは死を滅ぼし,
永遠のいのちを
与えてくださいました。
イエス・キリストの再臨のとき,
わたしたちの体はよみがえります。
○
内なる人,永遠の栄光
(2コリント4:16-18)
「ですから,
私たちは勇気を失いません。
たとい
私たちの外なる人は衰えても,
内なる人は
日々新たにされています。
今の時の軽い患難は,
私たちのうちに働いて,
測り知れない,
重い永遠の栄光を
もたらすからです。
私たちは,見えるものにではなく,
見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり,
見えないものは
いつまでも続くからです。」
「外なる人」とは,
生まれながらの人間です。
「内なる人」とは,
キリストによって
新しくなった人間のことです。
患難のとき,
神を見上げたいと思います。
そこに永遠の栄光があるからです。
○
5章
地上の幕屋
(2コリント5:1)
「私たちの住まいである
地上の幕屋がこわれても,
神の下さる建物があることを,
私たちは知っています。
それは,人の手によらない,
天にある永遠の家です。」
人間の体は壊れますが,
イエス・キリストを信じる者には,
死後, 永遠に生きる新しい霊的な
体が与えられます。
○
キリストのために生きる
(2コリント5:14-15)
「キリストの愛が
私たちを取り囲んでいるからです。
私たちはこう考えました。
ひとりの人が
すべての人のために死んだ以上,
すべての人が死んだのです。
また,キリストが
すべての人のために死なれたのは,
生きている人々が,
もはや自分のためにではなく,
自分のために
死んでよみがえった方のために
生きるためなのです。」
イエス・キリストが
十字架で死んだということは,
イエス・キリストを信じる者は皆,
キリストと共に死んだのです。
わたしたちの生きる目的は,
キリストのためです。
○
新しく生きる
(2コリント5:17)
「だれでも
キリストのうちにあるなら,
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って,
見よ,
すべてが新しくなりました。」
わたしたちは
イエス・キリストを
信じたときから,
新しい人生があたえられます。
○
和解
(2コリント5:19)
「神はキリストにおいて
世をご自分に和解させ,
その罪過の責任を
これに負わせることをしないで,
わたしたちに和解の福音を
ゆだねられたのである。」
キリストの死は,
人の罪を取り除き,
神と人とが,
もう一度和解することを
可能にしました。
○
神の義
(2コリント5:21)
「神はわたしたちの罪のために,
罪を知らないかたを罪とされた。
それは,わたしたちが,
彼にあって
神の義となるためなのである。」
イエス・キリストは,
処女マリヤから
聖霊によって生まれ,
罪のない方でした。
神は,
罪のないイエスを
罪人の代わりとして,
罰します。
イエスを信じる者は,
罪が赦され,
神と一つとなり,
正しい者(神の義)とされます。
○
6章
パウロの体験
(2コリント6:8-10)
「また,ほめられたり,
そしられたり,悪評を受けたり,
好評を博したりすることによって,
自分を神のしもべとして
推薦しているのです。
私たちは
人をだます者のように見えても,
真実であり,
人に知られないようでも,
よく知られ,
死にそうでも,見よ,生きており,
罰せられているようであっても,
殺されず,
悲しんでいるようでも,
いつも喜んでおり,
貧しいようでも,
多くの人を富ませ,
何も持たないようでも,
すべてのものを持っています。」
パウロは死,病気の問題があり,
迫害を受け貧乏をしました。
しかし,パウロは信仰によって,
富む者となることを教えています。
イエスを信じる者は,
福音の豊かさを持つことができます。
○
生ける神の宮
(2コリント6:18)
「神の宮と偶像とに,
何の一致があるでしょう。
私たちは生ける神の宮なのです。
神はこう言われました。
『わたしは彼らの間に住み,
また歩む。
わたしは彼らの神となり,
彼らはわたしの民となる。』」
旧約聖書に示された「神の宮」は,
イエス・キリストを
信じる者の型です。
それは,
信じる者の心に
神が宿っているからです。
その神は,
天地を造った神です。
○