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朝の光(聖書の言葉)

コリント人への手紙第2 1-6章 解説 2022-09-01

 コリント人への手紙第2 1-6章 解説
 
 
この手紙の著者はパウロです。


(1:1,10:1)


コリント第1の手紙を書いたのち,

1年以内56,57年ごろ

マケドニア(現在ギリシャ)で,

書いたものと思われています。


コリントは港町,

交通の要衝として栄えた町で,

パウロがアクラとプリスキラという

熱心なユダヤ人の

クリスチャン夫婦と共に

この町に教会を作りました。


その信徒へ宛てた2通目の手紙です。


問題が発生したコリント教会を

何とかして解決をしようと,

パウロが涙ながらに書きました。





1章


慰め 


(2コリント1:4)

「神は,

どのような苦しみのときにも,

私たちを慰めてくださいます。

こうして,私たちも,

自分自身が

神から受ける慰めによって,

どのような苦しみの中にいる人をも

慰めることができるのです。」



神は,

わたしたちを慰めてくださいます。


パウロは,苦しみを通して,

神に慰められました。


ですから,

パウロはどのような

苦しみの中にいる人をも

慰めることが出来るといいます。






復活の神に頼む者


(2コリント1:9)


「ほんとうに,

自分の心の中で死を覚悟しました。

これは,もはや自分自身を頼まず,

死者をよみがえらせてくださる神に

より頼む者となるためでした。」



パウロは,

自分の力では

頼れない体験をとおして,

神に希望を見出します。






心に聖霊を受ける


(2コリント1:22)


「神はまた,

わたしたちに証印をおし,

その保証として,

わたしたちの心に

御霊を賜わったのである。」



神が与える証印は聖霊です。


その心にある聖霊は

救いの保証となります。






信仰


(2コリント1:24b)


「あなたがたは,

信仰に堅く

立っているからである。」



イエス・キリストへの

信仰によって,

イエスのなされた

恵みのすべてを受けます。






2章


キリストの香り


(2コリント2:14)

「神はいつでも,

私たちを導いてキリストによる

勝利の行列に加え,

至る所で私たちを通して,

キリストを知る知識のかおりを

放ってくださいます。」



当時,征服者は捕虜をつれて,

勝利の行進をして帰ってきました。


この例を取り上げて,

わたしたちはキリストと共に,

行進していくのだといいます。






赦し,慰める


(2コリント2:7-9)

「あなたがたはむしろ彼をゆるし,

また慰めてやるべきである。

そうしないと,

その人はますます深い悲しみに

沈むかも知れない。

そこでわたしは,

彼に対して愛を示すように,

あなたがたに勧める。

わたしが書きおくったのも,

あなたがたがすべての事について

従順であるかどうかを,

ためすためにほかならなかった。」



教会を困らせた人を,

赦しなさいといいます。






3章


心に刻まれた言葉


(2コリント3:3)


「あなたがたが私たちの

奉仕によるキリストの手紙であり,

墨によってではなく,

生ける神の御霊によって書かれ,

石の板にではなく,

人の心の板に

書かれたものであることが

明らかだからです。」



モーセに与えられた

言葉である十戒は,

石の板に書かれました。


イエス・キリストから

与えられた言葉は,

信仰をもつ

すべての人の心に刻まれます。






新しい契約 


(2コリント3:6)


「神は私たちに,

新しい契約に仕える者となる

資格をくださいました。

文字に仕える者ではなく,

御霊に仕える者です。

文字は殺し,

御霊は生かすからです。」



「新しい契約」とは,

キリストの血によって,

信じる者は救われという福音です。


イエス・キリストを信じることは,

御霊に仕えるものであり,

霊の死から,

生き返らしてくださいます。






栄光から栄光へ


(2コリント3:16-18)


「しかし,人が主に向くなら,

そのおおいは取り除かれるのです。

主は御霊です。

そして,

主の御霊のあるところには

自由があります。

私たちはみな,

顔のおおいを取りのけられて,

鏡のように主の栄光を

反映させながら,

栄光から栄光へと,

主と同じかたちに

姿を変えられて行きます。

これはまさに,

御霊なる主の働きによるのです。」



イスラエルの人々は,

神を直接見ることは

できませんでした。



(出エジプト34:34)

「しかし
モーセは主の前に
行って主と語る時は,
出るまで
顔おおいを取り除いていた。
そして出て来ると,
その命じられた事を
イスラエルの人人に告げた。」



モーセが幕屋で

神の前に出るときは,

顔の覆いを取り除いて

神を直接見ることができました。


わたしたちが

イエス・キリストを信じ,

御霊に従うなら,神に会い,

神の姿に変えられ,

栄光を反映することができます。






主の霊


(2コリント3:17,18)


「主は霊である。

そして、主の霊のあるところには,

自由がある。

わたしたちはみな,

顔おおいなしに,

主の栄光を鏡に映すように見つつ,

栄光から栄光へと,

主と同じ姿に変えられていく。

これは霊なる主の

働きによるのである。」



わたしたちは,

「神の栄光」を受け,

「主と同じ姿に変えられる」

のです。


わたしたちが再臨の主に

会うことによって完成します。






4章


土の器


(2コリント4:6)


「私たちは,この宝を,

土の器の中に入れているのです。」



パウロが宣べ伝えたのは,

「土の器」

-すなわち自分-ではなく,

「宝」

-すなわちキリスト自身また福音-

です。






イエスのいのち


(2コリント4:11)


「私たち生きている者は,

イエスのために

絶えず死に渡されていますが,

それは,

イエスのいのちが

私たちの死ぬべき肉体において

明らかに示されるためなのです。」



神のために生きるには,

自分に死ななければなりません。






イエスと共に復活


(2コリント4:14)


「主イエスをよみがえらせた方が,

私たちをも

イエスとともによみがえらせ,

あなたがたといっしょに

御前に立たせて

くださることを

知っているからです。」



わたしたちの「死の体」は

永久に生きることは出来ません。


キリストは死を滅ぼし,

永遠のいのちを

与えてくださいました。


イエス・キリストの再臨のとき,

わたしたちの体はよみがえります。






内なる人,永遠の栄光


(2コリント4:16-18)

「ですから,

私たちは勇気を失いません。

たとい

私たちの外なる人は衰えても,

内なる人は

日々新たにされています。

今の時の軽い患難は,

私たちのうちに働いて,

測り知れない,

重い永遠の栄光を

もたらすからです。

私たちは,見えるものにではなく,

見えないものにこそ目を留めます。

見えるものは一時的であり,

見えないものは

いつまでも続くからです。」



「外なる人」とは,

生まれながらの人間です。


「内なる人」とは,

キリストによって

新しくなった人間のことです。


患難のとき,

神を見上げたいと思います。

そこに永遠の栄光があるからです。






5章



地上の幕屋


(2コリント5:1)


「私たちの住まいである

地上の幕屋がこわれても,

神の下さる建物があることを,

私たちは知っています。

それは,人の手によらない,

天にある永遠の家です。」



人間の体は壊れますが,

イエス・キリストを信じる者には,

死後, 永遠に生きる新しい霊的な

体が与えられます。






キリストのために生きる


(2コリント5:14-15)


「キリストの愛が

私たちを取り囲んでいるからです。

私たちはこう考えました。

ひとりの人が

すべての人のために死んだ以上,

すべての人が死んだのです。

また,キリストが

すべての人のために死なれたのは,

生きている人々が,

もはや自分のためにではなく,

自分のために

死んでよみがえった方のために

生きるためなのです。」



イエス・キリストが

十字架で死んだということは,

イエス・キリストを信じる者は皆,

キリストと共に死んだのです。


わたしたちの生きる目的は,

キリストのためです。






新しく生きる


(2コリント5:17) 


「だれでも

キリストのうちにあるなら,

その人は新しく造られた者です。

古いものは過ぎ去って,

見よ,

すべてが新しくなりました。」



わたしたちは

イエス・キリストを

信じたときから,

新しい人生があたえられます。






和解


(2コリント5:19)


「神はキリストにおいて

世をご自分に和解させ,

その罪過の責任を

これに負わせることをしないで,

わたしたちに和解の福音を

ゆだねられたのである。」


キリストの死は,

人の罪を取り除き,

神と人とが,

もう一度和解することを

可能にしました。






神の義


(2コリント5:21)


「神はわたしたちの罪のために,

罪を知らないかたを罪とされた。

それは,わたしたちが,

彼にあって

神の義となるためなのである。」



イエス・キリストは,

処女マリヤから

聖霊によって生まれ,

罪のない方でした。


神は,

罪のないイエスを

罪人の代わりとして,

罰します。


イエスを信じる者は,

罪が赦され,

神と一つとなり,

正しい者(神の義)とされます。






6章


パウロの体験


(2コリント6:8-10)

「また,ほめられたり,

そしられたり,悪評を受けたり,

好評を博したりすることによって,

自分を神のしもべとして

推薦しているのです。

私たちは

人をだます者のように見えても,

真実であり,

人に知られないようでも,

よく知られ,

死にそうでも,見よ,生きており,

罰せられているようであっても,

殺されず,

悲しんでいるようでも,

いつも喜んでおり,

貧しいようでも,

多くの人を富ませ,

何も持たないようでも,

すべてのものを持っています。」



パウロは死,病気の問題があり,

迫害を受け貧乏をしました。


しかし,パウロは信仰によって,

富む者となることを教えています。


イエスを信じる者は,

福音の豊かさを持つことができます。






生ける神の宮


(2コリント6:18)


「神の宮と偶像とに,

何の一致があるでしょう。

私たちは生ける神の宮なのです。

神はこう言われました。

『わたしは彼らの間に住み,

また歩む。

わたしは彼らの神となり,

彼らはわたしの民となる。』」



旧約聖書に示された「神の宮」は,

イエス・キリストを

信じる者の型です。


それは,

信じる者の心に

神が宿っているからです。


その神は,

天地を造った神です。




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