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朝の光(聖書の言葉)

パウロの追求,目標を目ざして(ピリピ3:12)

パウロの追求


(ピリピ3:12)


「私は,すでに得たのでもなく,

すでに完全にされているのでも

ありません。

ただ捕えようとして,

追求しているのです。

そして,それを得るようにと

キリスト・イエスが

私を捕えてくださったのです。」



藤沢周平の小説には,

求道者であり剣の奥義を極めた

人物が出ます。


凛(りん)とした

すがすがしさを感じます。


イエスの弟子のパウロも

奥義を極めていますが,

求道者でもあります。


パウロは自分の内面の問題を

恥じることなく語ります。


しかし,

極めていることを語ることに

誇らないようにしています。


パウロの最終の目標は,

天に召されて神と共に

住むということです。










新聖歌344(聖歌)が,

この箇所を歌っています。


「なおも御恵みを 

なおも御救いを

なおもわがために 

見失せし主を知らん

なお深く主を 

なお深く主を

なおもわがために 

見失せし主を知らん」







☆彡


目標を目ざして


(ピリピ3:10-16)

「私は,

キリストとその復活の力を知り,

またキリストの苦しみに

あずかることも知って,

キリストの死と同じ状態になり,

どうにかして,

死者の中からの

復活に達したいのです。

私は,すでに得たのでもなく,

すでに

完全にされているのでも

ありません。

ただ捕えようとして,

追求しているのです。

そして,

それを得るようにと

キリスト・イエスが

私を捕えてくださったのです。

兄弟たちよ。

私は,

自分はすでに捕えたなどと

考えてはいません。

ただ,この一事に励んでいます。

すなわち,うしろのものを忘れ,

ひたむきに

前のものに向かって進み,

キリスト・イエスにおいて

上に召してくださる

神の栄冠を得るために,

目標を目ざして

一心に走っているのです。

ですから,

成人である者はみな,

このような考え方をしましょう。

もし,あなたがたがどこかで

これと違った

考え方をしているなら,

神はそのこともあなたがたに

明らかにしてくださいます。

それはそれとして,

私たちはすでに

達しているところを基準として,

進むべきです。」





「すでに得たのでもなく,

すでに完全にされているのでも

ありません」

とは,

キリストを信じたことは,

キリストを

知り尽くしたのではなく,

信仰が完全にされたのでも

ないということです。


○ 



十字架と復活のイエス・キリストを

信じるだけで,罪は赦され,

天国に行けます。




2014.3.5
 
 

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