ストーリーテリングとは、本に書いてあることをそっくりそのまま口にするのだというのが図書館の解釈のようです。児童図書館研究会の本で読みました。
けれど「ストーリーテリング」をネット検索すると、語りとかおはなし、とか出てきます。落語をラクゴ・ストーリーテリング、などと例が書いてあります。社会人が企画立案を説明するのもストーリーテリングというそうです。
歴史を考えれば、戦後まもなく欧米で研修を受けた人が、本のまま口にするのをストーリーテリングだと定義づけたのでしょうね、外来語が珍しかった時代です。
新潟市でも「ストーリーテリング講座」として、いろいろな本を暗記して語る方法が推し進められてきました。確かにうまくやれば子どもにも伝わりますが、その確率はとても少なく、不特定多数の子どもが集まるおはなし会では、ストーリーテリングが始まると子どもも大人も白けるという様子がありました。仕方なく、大人限定の会でやられるようになったようで、私も以前それに参加したことがあります。今、いろいろなタネ本を読むと「外国語を日本語に直訳したような書き言葉」の文も多く、これでは相手に伝わらないでしょう。
思いだすのは菅元総理の語り口です。「官僚の文を読むな」とマスコミが叩いたのも覚えています。彼なりに時々目線をこちらに向けて語るのですが、淡々としているせいでしょうか。私たちも習った「あまり抑揚をつけずに、話をそっと置いてくる」ような、そんな話ぶりでした。つまり「相手にこっちによって来いと言っているような」考えです。
今、これでは菅元総理のように、相手に伝わらないのではないでしょうか。聞いてくださいと一生懸命な様子があったほうが良いように私には思えます。せめて、相手を見ながらうなずくような。
そして戦後も遠くなり、今の人は英語と日本語をごっちゃにして自分のものにしているでしょうから「ストーリーテリングはこういうやり方限定」というのは、はばかられるような気がします。昔の伝承の語り手を「ストーリーテリングではない」と児童図書館研究会の本に書いてあるけど、ストーリーテリングの一種ですよね。違うものを包摂して~~~とSDGsにも書いてあるでしょ。(ちょっとしつこいが)。今の子どもに「いろいろあっておもしろい」と思ってもらいたいと、私は思います。