昔の紙芝居舞台

縁あって、昔の紙芝居舞台をもらい受けました。いろいろなご配慮があり、お礼を申し上げます。
古くて、木がささくれ立っていましたが、よく拭いたらきれいになり、模様が彫られているのが分かりました。手作りではなく、既製品と思われます。とても使い込まれた様子で、脇の蝶番は一つだけ新しいのに取り替えられ、持ち手も後に取り替えられたようで、引き出しの取っ手のようなものが上についていました。昨日は半透明ペンキを塗り、ニススプレーをかけて乾かしました。

戦後、紙芝居だけが戦争責任を負わせられ学校現場から排除になったと聞いています。それでもどのくらい年月がたったのでしょうか、舞台が学校にも置かれるようになりました。もしかしたら、この舞台もそのころのものかもしれません。この舞台の前で、どんな、また、どのくらいの数の子どもたちが、笑いあい、固唾をのんだか、おぼろげに見えてくるような気がします。

20年以上も前のことでしょうか、舟江図書館でMさんという司書さんとカウンターの前で話をしたことがありました。
「図書館にはいいものしか置かないんですよね。なぜ、紙芝居を置くのですか」と私が言うと、Mさんは困った様子でした。
確かに、当時私は、名作ものなど紙芝居に脚本化されて、原作と離れていくのが良くないんじゃないかという考えでした。そのことを伝えると、「そうね、そうなのよ」と、Mさんは仰いました。

数日後、偶然、夕暮れのバス停でMさんと一緒になりました。
「あなたは紙芝居をするのね」などと言われてうなずくと、「紙芝居は、もともと図書館にはなかったのよ。市民の人の意見で置かれるようになったのよ」などと、ちょっと悔し気に(心の中を吐き出すように)仰いました。その後は世間話などして別れました。数年後、退職されたのでしょうか、華やかな服のMさんを町で見かけました。やっと自由になったのかな、などと感じました。

戦争ではどのメディアも戦争遂行に協力したという責任があります。ところが紙芝居だけがそれを自ら認めたので、紙芝居だけが悪いように思われたのでしょう。みんなが悪さをしたのに、それを認めた子だけがいじめにあっている構図に思えます。
 その後、大勢の人がその失地回復を願い、その文化を残そうと、バトンをつないできました。私も縁があって、そんな歴史物語の中にいるように感じます。危うい世の中になってきましたから、もっとたくさんの人に、歴史を知った上で、一緒に物語を紡いで欲しいです。

そして思うのは、「絵本の読み聞かせ」とのバランスです。どちらかに偏ると絵本と紙芝居の争いになってしまいます。柳田邦男氏は、自書の中で、集団相手の絵本の読み聞かせを「絵本かみしばい」と喜んでおられました。適材適所を大切に、おはなし会で、ともに栄えるように、やっていきたいと思います。
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