再投稿・プログラムと子どもの人権

秋の読書週間が始まり、あちこちでおはなし会があるようです。

私は、ずいぶん前に、「おはなし会のプログラムをきっちり決めないで聞き手に決めてもらう」という聞き手選書型というのを提案し、始めました。「手抜きだ」「プログラムを作る能力がないんだろう」などとバッシングもありました。
そのときに頼りにしたのは、子どもの人権宣言です。子どもには「選択権」があるのです。自分で選んでいいのです。なんだか当たり前のことにように読み飛ばしてきましたが、このフレーズがきっとどこか私の心の中に残っていたのだと思います。

JPICの雑誌など、「おはなし会プログラム」の特集は頻繁にあり、そのための本も出ています。
でも私は思うのです。聞き手が違い読み手が違い、その場の雰囲気も違うのに、本だけ並べてその順番をうんぬんすることのつまらなさを。プログラムの企画の編集をするときに、子どもの人権について編集者は心配りができているのか。

現場ではさらにその上に、お局さまの見本に合わせていれば大丈夫的な、お稽古事意識も重なってきます。
昨日、朝日新聞の天声人語に『御心(みこころ)』意識のことが書かれていて、これはすべて自分が経験したことだなあと思いました。
軍部の中間管理職の「将校」が何かといえば「これが大御心だ」と昭和天皇を持ち出したこと、これを私たちに当てはめてみましょう。
本を選ぶ時に、それは本当は自分の好みなのだけれど、地域の指導者(これが黒幕のようになっている)のおっしゃったこととして兵隊さんに伝わっていく、その理不尽さ。将校になると、つい天皇を引き合いに出してしまうという人間の弱さ。
それらを感じているから、人は図書館のおはなし会から離れていくんだろうな、と思っています。
この前の知事選でも、民意が出たでしょう。市民は「中央との太いパイプ」にうさん臭さを感じるんでしょう。
ずいぶん前にブログにも書きましたが、「図書館のおはなし会に行くと『こういうのが良い本だ』と洗脳されるから行かないんだ」と言った人もいました。県の講座でも、良い本を考えることが必須みたいになっているけど、ボランティアが考えれば考えるほど、普通の子どもの感覚から離れていくようにも思います。

やっているボランティア本人は、一生懸命 絵本講座に行き真面目にやっているのに、そう思われるのです。人がいいので偉い人(現場にはいない)の言うことをつい信用しちゃう。結局つねに目線は「偉い先生」を向くことになる。市民が何を求めているか、現場にいるのに見えてこなくなります。
これを何とかマッチングしたいと思っていました。簡単なことです。部分的でもいいので相手の希望を聞けばいいのです。
別の価値もあります。絵本の説明をして子どもに選んでもらうのは、ビブリオバトルでもあるのです。
それに、皆さん優等生的におっしゃるじゃないですか「自分の知らない本を教えてもらって良かった」。これを「偉い先生」でなく市民から教えてもらえばいいのです。でも、できない。何故か。
「自分は指導者側にいるから、市民を指導しなくちゃならない」と、図書館講座でそういう雰囲気を感じるからです。
素晴らしいプログラムや選び抜かれた本、をうんぬんする前に、子どもの人権について振り返ってみればいいですよね。
強い言い方で申し訳ないですが、聞き手選書がないプログラムは、子どもの人権宣言に違反していると思います。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
選書なんて絶対じゃない! (よろず語り部 夢追人)
2016-10-29 21:27:11
 簡単なことだと思います。

 読み聞かせの根っこがどこにあるのかを考えれば...。

 自分の子供に本を読んであげる時、例えば、寝床でのひとこまで...。

 選書してプログラムを決め、試し読みをして臨みますか?

 皆さん、一番基本のことを忘れてますよ!

 絵本は読み手のものではなくて、聞き手のものです。

 聞き手の存在を無視した、頭でっかちな選書はただの自己満足に過ぎないと思います。

 もっと基本に立ち返ってください!

                  よろず語り部 夢追人拝
 
 
 
プログラムを作るとき (石倉恵子)
2016-12-08 17:39:44
コメントありがとうございます。絵本は聞き手のもの、図書館は市民のもの、そういった立場で考えるのは同感です。

ただ、プログラムを作る必要に迫られることはあります。複数人が読み手として参加する時です。ベテランや新人・本のタイプ・当日のドタキャン・子どもの年齢、様々な不確定要素があってもなんとかバランスを取らなくてはならない時があります。そんな時のいいアイデアはありませんか?考え続けています。
 
 
 
リクエストタイムを設けては? (よろず語り部 夢追人)
2016-12-11 05:57:31
 済みません!返信コメントに気づかず、放置してしまって...。

 いや、プログラムを作ること自体はいいと思うのです。

 ボクは一人でやっていいるので、臨機応変が効きますが、団体ですと誰が何をやるのか?全体の構成もあるでしょうし...。

 で、想定してた対象年齢とずれた時、読み手が急に来れなくなった時、子供達自身の選書にのっとったリクエストタイムを設けては如何でしょう?

 もちろん、誰が読むか?はその場で決めねばなりませんが...。

 会員の機会均等を図るとかはその会の内部事情であり、観客である子供たちには関係ありません。

 頼まれた本を初見で読みこなせる方が、その役を担えばいいと思います。

 ボクは地元図書館で「読み聞かせ請負人 夢追人」という活動をしていますが、みんな恥ずかしがりながらも「これ読んで!」って自分のリクエストを選んで持って来てくれます。

 それこそ、「こんな絵本・紙芝居があったのか?」ってくらい、初見作品を持って来られ、ドキドキしながら一緒に新しい物語を冒険してます。

 「おはなし会」用に選んだ何冊かだけを練習して臨むから、急な変化に対応できないのだと思います。

 どれを持って来られても、そこそこに読みこなせる様に普段から準備すべきと思います。

 それには、ベテランも新人も関係ありません!

 読み聞かせや紙芝居にも、気力、体力、瞬発力、機動力、もちろん視力も必要。

 経験も大事、若さも大事。(笑)

 団体内の不穏な人間関係、パワーバランスは子供たちに絶対悟られてます!

 選書も大事ですが、まずはそこをクリーンにしないと。

 読み手が陰な気を振り撒いては、本末転等です。

 ボクも、舞台に立つ時は、プライベートで何があっても、自己浄化してから臨む様にしています。

 まあ、兎に角楽しんでやりましょうよ!

                  よろず語り部 夢追人拝
 
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